[#表紙(表紙.jpg)] 柳 美里 自 殺 目 次  レッスン1993  自殺をプログラムする    世界の隅で震えている子どもたち    生きるだけでは満足できない    放課後のおしゃべり    柳美里への八つの質問    死を夢みたあとに  レッスン1999  死をコントロールする    平和の代償として、自殺は増えつづける    伊丹十三、新井将敬、hideの死    復讐する子どもたち    虚栄とナルシシズムがもたらしたもの    ひとりひとりが「死の解釈」を [#改ページ]    レッスン1993 自殺をプログラムする [#改ページ] [#小見出し]  世界の隅で震えている子どもたち うつむいて生きている  はじめまして、柳《ユウ》です。  柳《ヤナギ》と書きますが、ユウと読みます。  簡単に自己紹介しておきますと、私は在日韓国人で、二世です。十八歳ではじめての戯曲《ぎきよく》を書き、二十四歳までに九本の芝居を上演しています。従って、今のところ肩書は劇作家ということになります。今のところといったのは、エッセイも書いてますし、小説も書くつもりなので、最終的にはどんな肩書がつくのか自分でもわからないからです。  私は高校を一年で放校処分になってしまって、それ以来学校と名のつくところには縁がないので、今日この高校の校門をくぐってからずっとアガっているというか、学校の教室に入るのは恐怖なんです。それで、さっきここにくる前にお酒をちょっと飲んで(笑)、顔が赤くなっています。  今日は皆さんに偉そうに「自殺」というテーマでお話しすることになっているわけですが、じつは私は人前で話すのがとても苦手なんです。最初、私は自分の書いた戯曲の演出もしていたんですけれど、演出家というのは、とにかく役者にいろんな注意を出したり、文句をいったりしなければならないのに、役者やスタッフを前にしてしゃべるのが苦痛で稽古場《けいこば》に行くのがイヤでしょうがなかった。それで、これはむいてないなと思い、六本目でやめました。いつエスケープするかわかりませんが、はじめることにします。  私は中学校のときに家出癖があって、家出をくりかえしていたんですね。編集者の方からこの企画の話を聞いたとき、変なことを考えますね、と笑ってしまったんです。編集者の方に、「自殺といったら、経験者でもある柳さんをおいてほかにいないと思いまして」といわれて、私は複雑な気持ちになりました。誰々をおいてほかにいない、といういい方は普通は褒《ほ》め言葉なんですが、この場合褒め言葉とはいえないからです。それに経験者だったら死んでいなければおかしいわけで、正しくは「自殺未遂の経験者」なんです。だから、私は皆さんみたいにちゃんと生きているひとにも顔をあげられないし、自殺をしたひとにも顔をあげられないでうつむいて生きています。  私の家は横浜の西区の線路脇にあったんです。朝起きると、踏切の音がカンカンカンカン聞こえて、「どうして線路に飛び込まないんだろうな」と思い、布団の中でその理由をいいわけのように数えあげました。  最初に自殺を考えたのは小学六年生のときです。それまで私は学校から家に帰ると、スカートから短パンにはきかえて二人の弟と公園に行き、暗くなるまで遊んでいました。膝小僧を擦《す》り剥《む》いても唾《つば》をつけてサッカーボールを蹴《け》りかえすような男の子っぽい女の子でした。胸もペッタンコだったから、小学校四、五年まで弟の海パンで泳いでいたんです。  小学校四年のときに、全員クラブに入らなければいけないというので、サッカークラブに入りました。どうしてサッカークラブを選んだかというと、女の子が一人もいなかったから……。私は女っぽい言葉とか、女っぽいしぐさがとにかくイヤだったんです。今になって考えると、母がキャバレーに勤めていて、学校から家に帰ると、黒や赤のレースの下着姿で化粧をしたり、香水を耳につけていたりというふうな、店に行く支度をしているのを見て、ゾッとするほどイヤだなと思っていたからじゃないかな。  母は二十三歳のときに私を産んだので、私が小学校の低学年のときはまだ若かったんですね。だから私の指の爪や足の爪にマニキュアを塗ったり、ブカブカのブラジャーをつけさせたりして、人形がわりに遊んでいました──そのことも私が女っぽいことに嫌悪感を抱く原因だったろうと思います。 世界中が死んでしまえばいい  小学六年のときに、胸でボールを受けて足で蹴りかえすという練習をしていたら、とても胸が痛かったんですね。家に帰って服を脱いで鏡台で見てみたら、いつの間にか体がブヨブヨしてしまって、みっともない。これじゃあ半ズボンは似合わないと思って、とても哀しくなったことをおぼえています。数日後に生理がはじまり、私は世界中が死んでしまえばいいと、そのときはじめて自殺を考えました。  そのころからときどき、指で耳栓をして目をつぶって布団の上で死んだふりをしてみるようになったんだけれども、胸がドキドキいうのも感じられるし、扇風機の風が頬にあたるのも感じられるし、とても死を実感できなかった。  胸がふくらんだということと生理がはじまったということは、私が子どもを産める体になったということです。うちの母は機嫌が悪いときにいつも「あなたを産んでから白髪が増えて、歯がボロボロになったのよ。あなたなんか産まなければよかった」といいました。私はそのころテレビで、鮭が川をさかのぼって産卵し、卵を産み終わったあとにボロボロになる映像を見て、母がいっていることは間違いじゃなかったんだと思い、ショックを受けました。  だから、胸がふくらんだことと生理がはじまったことは、私にとっては老いのはじまり、死期が近づいたということだったんです。小学六年の一年間というのは、皆さんは変だなと思われるかもしれないけれども、いちばん老いに近く、老いに脅《おび》えていたときだったんです。  私は中高一緒のミッションスクールに入学しました。進学校で、神奈川では名の通った女子校です。  ここの学校は、校則、厳しいでしょうか。厳しいですか?  私の学校は、ものすごく厳しくて、生徒手帳に「白やピンクの清楚《せいそ》な色でなければいけない」と下着の色まで指定してあって、下着検査があったり、髪は前髪を上げて三つ編みにしなければならなかったり、ピンも太さから長さまでミリ単位で指定してあり、「喫茶店には両親|同伴《どうはん》でなければ入ってはいけない」というような規則もあって、私はことごとく、それを破りました。今はまともなかっこうをしてますが、そのころはオカッパをオキシフルで脱色して金髪にして、ちょっとダサイんだけれども、スカートはくるぶしまであって、鞄《かばん》はつぶしてステッカーを貼《は》って、鞄の中には教科書なんか全然入っていなくて、ナイフと、カミソリと、ウイスキーと(笑)、タバコが入っていました。  なんでそんなふうに校則を破ったかというと、息ができなかったんですね。教室に入ると、呼吸困難になってしまったんです。ガラッと扉を開けると、息を吸いすぎてバタッと倒れて保健室に運ばれるというようなことをくりかえして……。それは必ずしも校則のせいばかりではないにしても、厳しい校則をつくるような学校のがんじがらめの管理的雰囲気が教室に充満していたからだろうと思います。  最初のうち、みんなは変なものを見るような目つきで私のことを見ていたんだけれども、だんだん無視されるようになったんですね。誰も口をきいてくれない。口をきいてもらえないというのは、変な目で見られるよりもつらいことで、教室が一階だったので、授業中に何度も窓から上履きのまま外に出て、エスケープしました。  学校にいるのと同じくらい、家にいるのがイヤでした。小学五年のときに母が恋人と暮らすために家を出て、私といちばん下の弟は母と、上の弟と妹は父と暮らすことになりました。私はその母の恋人とうまくいかなくて……。  トリュフォーの『大人は判《わか》ってくれない』という映画、観たことあります? 少年院のようなところに連れて行かれる途中で、男の子が車から抜け出して海に行くんです。その少年のように学校をエスケープしては、海へ行きました。中学二年の冬、今日こそは自殺しようと考えて、埠頭《ふとう》に立ちました。私は全然泳げないから海に飛び込めば溺《おぼ》れるんですが、ちょっとオッカナイ気もしたから、ウイスキーを飲んだんです。でもなぜか浮かびあがって──、死にきれませんでした。 不完全な死体  そうこうしているうちに学校の先生に、精神科に通ったほうがいいんじゃないかといわれて、通うことになったんです。精神分析お決まりの質問、ありますよね。それに私は二つしか答えなかったんです。「死にたいですか」というのに「はい」、「眠れますか」という質問に対して「いいえ」。そしたら鬱《うつ》病だと診断されて、抑鬱剤と睡眠薬をもらいました。それを飲まないで机の中にためて、ある日まとめて飲んだんですが、それでも死ねなかった。  死ぬのなら、電車に飛び込んだり、高いところから飛び降りたりすれば確実なんだろうけど、その確実な方法を選ばなかったというのは、どこかで死ぬのを恐れていたんだと思います。  私の戯曲はすべて「死」をテーマにしています。それは最初から意図したわけではなく、何作か上演して、ひとから指摘されて気がつきました。大半が最後に自殺をするというストーリーなんです。現実の中で自殺できなかったから、芝居の中で主人公は飛び降りたり、手首を切ったりして自殺する。  五作目の『春の消息』という芝居は、線路に飛び込んだ高校一年生の少女が、死ぬこともできず、生きる世界にも戻れないままプラットホームを永遠にさまようという話です。そして、何十年か経って、彼女の同級生たちが老衰《ろうすい》で死に、黄泉《よみ》の国行きの電車に乗るためにその駅にやってくるんです。やってくるんだけれども、彼女は、そこでもまた同級生たちと別れなければならない。自分がなぜ死の国に行けないのか、自分が本当に生きていたことがあったのだろうかと十六年間を振りかえるんです。そしてそれが一瞬も見つからないために、死ぬことができないんです。  私は、生きていたことがなかったひとに、死ぬことはできないと思います。寺山修司という、歌人というか劇作家というか、いろいろなジャンルで活躍したひとがいますが、彼は「ぼくは不完全な死体として生まれてきた」というふうに書いています。私は、自殺に失敗をした十四歳のときから、不完全な生を生きているという、強い実感を持っています。  フランスのシュールレアリストのジャック・リゴーというひとは、二十歳のときに自分に死刑判決を下して、それから十年後の三十歳のときに、自分で死《しに》化粧をしてピストル自殺をしました。彼のいちばん親しい友人、アンドレ・ブルトンは、彼の死を知って、「人生の最も美しい贈り物は、好きなときにそこから抜け出させてくれる自由だ」といったそうです。 失恋、そして遺書  話は前後して前に戻りますが、私は中学校二年のときに、クラスメートの女の子に恋をしたんです。それからいくつか恋愛をしたけれど、彼女のことを今まででいちばん好きだったのではないかと思うほどです。私は教室の隅のほうに座っていて、窓側のいちばん前の席のその子をいつも見ていた。ああ、そういえば、私が戯曲を書いているのは、彼女が演劇部だったせいかもしれません。  学校からの帰り道、彼女の家の周りをグルグルまわったり、共学のひとは変だなと思うかもしれないけれど、バレンタイン・デーとか誕生日にマフラーや手袋を編んだりして、下駄箱に入れました。  その子に一度、「私はあなたのことが好きです」といったら、「あなたの全部が嫌い」といわれた(笑)。「あなたのその長い髪も、しゃべり方も、存在自体大嫌い」といわれて、彼女の目の前で髪をハサミで切ったんですが、あとはどうしていいかわからなくて、学校の帰りにブランコに乗りながらカミソリで手首を切ったんだけれども、深く切れませんでした。  どうやら退学になるらしいぞという雰囲気が伝わってきたときに、その子に遺書めいた手紙を書いたんです。「あなたが私のことを嫌っているということはわかっているけれど、私はあなたのことが好きです。私は学校を退学になるでしょう。学校をやめて生きつづけたら、男のひとを好きになるかもしれません。それがイヤなのです。だから死にます」という文章だったと思います。でも私は結局死ぬことができず、それから男のひとを好きになって、男のひとをはじめて好きになったときに、彼女への思いを綴《つづ》った日記や出せなかった手紙などは全部燃やしました。   彼の目は哀しみで鋭敏になり   草や葉が一瞬一瞬伸びていくのがわかる。  これはロバート・グレーブズの「失恋」という詩です。私はこの詩を読んだときに、芥川龍之介の遺書に書かれた「末期《まつご》の眼」という言葉を思い出しました。死にゆくひとがもつ末期の眼差《まなざ》しと、失恋をしたひとの眼差《まなざ》しというのは、似ているのではないかと思います。失恋というのは自分の一部が死ぬことだから、似ているのは当然ですね。  私の中学校の話で脱線をしてしまいましたが、ここにいる皆さんも、どこかで死ぬくらいの恋をしたいと思うことはあるでしょ? 私は、その思いの中に自殺の芽があるのではないかと考えています。 絶望したときに死ぬとは限らない  ひとはなぜ自殺をするのか考えてみたいと思います。  自殺は人間だけが行います。ライオンもコンドルも自殺しません。だから私は、自殺は最も人間的な行為だと思うし、人間だけに与えられた特権だということができると思います。  ひとはたとえば、いじめにあったり、失恋をしたり、事業に失敗をしたりして自殺します。自分の老いに耐えられなくなって死を選ぶひともいれば、自分の失敗をお詫《わ》びするという遺書を残して自らの死を選ぶひともいます。  ひとが自殺をする理由はひとが生きる理由ほどあるんです。けれどひとが死を選ぶ本質的な理由は、自己の尊厳を守るという強い動機に支えられている、といえます。自殺は尊厳死であるといってもいいと思います。ひとは、自己を脅かしつづける屈辱を葬り、自己の尊厳を守る権利があるということをおぼえておくべきだと思います。  たとえば、ここにいるみんなが年をとって、アルツハイマー病になったとします。大便や尿を垂れ流し、自分の妻や夫の顔がわからなくなったら、それでも生きていたいと思うでしょうか。私はもし一時的でも覚醒《かくせい》することがあれば、ためらうことなく死を選択します。  さっき私は、朝、目を醒《さ》ますと死なない理由を数える、といいましたが、今日も朝起きて、死なない理由を考えてみたんです。  一番目は、この授業というか、変な企画なんだけれども、これをやらなければいけないということ。二番目は、週刊誌で連載エッセイをはじめたばかりで、迷惑をかけるから。三番目は、処女小説を書きかけだから。なぜかみんな、書くことに関係しています。だから、もしある日書けなくなったら、私は間違いなく死を選ぶでしょう。私にとって生きることは書くことです。生きる意味が失われれば、死を選ぶというのは、当然だと考えています。もし私が書けなくなっても生きなければならない運命にあるとしたら、それは生きながらの死です。  私は、ひとは必ずしも絶望したからという理由で自殺するとは限らないと思うんですね。この学校にいじめがあるかどうかわからないけれども、いじめにあったひとが自殺するのは、そのいじめた人間に対して死をもって抗議するという意味があると思うし、復讐《ふくしゆう》、自分の肉体を傷つけるかわりにいじめた人間を精神的に処罰するとかさまざまな意図が込められているんです。失恋して自殺したひとの場合は、自分の恋愛を至上のものとして、「私は、これほど、自殺するほど、あなたを愛しているのよ」と強く宣言してるんです。つまり、自殺は必ずしもネガティブな行為ではなく、積極的に自己を表現するための行為だともいえるということを考えていただきたいのです。 生きるための言葉がなかった  次は自殺者からの挑発ということで話を進めたいと思います。抗議としての死、世界の否定としての死、生の喪失としての死、いろいろだと思うんです。具体的なケースでその意味を考えてみましょう。  昭和五十四年に、十六歳の高校生がおばあさんをカナヅチでめった打ちにして殺して、自殺する、という事件がありました。おじいさんが大学教授、お父さんも大学教授というエリートの家庭で、高級住宅地で起きた事件だということが、当時、世間を驚かせた大きな理由だったようです。彼は長文の遺書を残しているんですが、その内容について映画監督の伊丹十三さんが「あの文章は上手な文章ですね。あれだけの筆力というのは、並みのものではない。大変なものですよ。尊敬しちゃったよ、僕は」といったんですけれども、その祖母への憎しみを書き綴った遺書には、「このままいけば自分は、進学、就職、結婚、すべて引きずられてしまう」と書いてあったんですね。マスコミは、母親の代理であるおばあさんの過剰な愛情や期待が抑圧になっていて、それが一挙に爆発したのではないかといっていました。「このままいけば自分は自分でなくなり、人形のようにただ操られるだけになってしまう」ということを、彼は感じてしまったわけです。  しかし、私たちの周りにも、両親の過剰な愛情や干渉で人生のルールが決められてしまっている子どもは、大勢います。疑問を感じながらも進学も就職も結婚も引きずられ、幸せだと思っているひとは、やはりいるんですよね。にもかかわらず、絶望するひとだっている。親の愛情や干渉というのは、一定のところまでは必要だとしても、自分の人生を自分で選択するのは、人間が生きていくために当然のことです。  この少年の自殺は、親の過剰な愛情、期待、批判に対する警告だといえるし、いいなりになりがちな私たちへの警鐘だともいえると思います。  昭和六十年に高層団地の十三階と十四階の間の踊り場から、小学五年生の杉本治君が飛び降り自殺しました。彼が残したのが「テスト戦争」という、詩というか、言葉です。長くなりますが、朗読します。   紙がくばられた   みんなシーンとなった   テスト戦争の始まりだ   ミサイルのかわりにえん筆を打ち   機関じゅうのかわりに消しゴムを持つ   そして目の前のテストを敵として戦う   自分の苦労と努力を、その中にきざみこむのだ   テストが終わると戦争も終わる   テストに勝てばよろこび   負ければきずのかわりに不安になる   テスト戦争は人生を変える苦しい戦争  もう一つは、 [#ここから2字下げ] 勉強してどうなるのか、やくにたつ、それだけのことだ、勉強しないのはげんざいについていけない、いい中学、いい高校、いい大学、そしていい会社これをとおっていってどうなるのか、ロボット化をしている。こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか。 [#ここで字下げ終わり]  これらの言葉を彼が小学四年生のときに書いて、小学五年生のときに自殺をしたというので、当時、大きく報道されました。  彼の考え方は、この中でも反発をおぼえるひとがいると思います。だって、そのテスト戦争に私たちは耐えて生きているじゃないか、と……。私自身、学校からはじき飛ばされた人間だから、ここで受験戦争について批判めいた考えを述べようとは思わないけれども、問題なのは、彼のような考えを持ってしまった子どもがこの社会でどのように生きることができるか、ということだと思います。  つまり、今の世の中というのは、共同幻想を個人に押しつけて、私的な幻想を持つことがとてもむずかしい時代にあると思うんです。私的な幻想というのは、趣味ではゆるされるのです。たとえばファミコンとか切手収集などではゆるされても、「一体学校なんかに意味があるのか」と考えれば、親や先生や同級生たちとの間に摩擦《まさつ》が生じます。でも、自分の個性や自分なりの考えを持つということは、私は今も昔も変わりなく重要なことだと思うんです。  わかりますよね。つまり、この世の中の現実では一流大学を出てエリートになって、というようなステロタイプな考え方が共同幻想として成立しているときに、「こんなのをとおっていい人生というものをつかめるのか」という、存外、誰しも思っている疑問が一人の少年の私的な幻想として出てきたことが問題だろうと思うのです。この少年の私的な幻想に対して誰も有効な説得をできなかった。誰もが感じている疑問に大人たちが答えられなかったゆえに、この少年は突出するしかなかった──そして、自殺。問題は、この少年に誰も生きる意味を説く言葉がなかったということではないでしょうか。 狭い場所で悲鳴をあげている  私は今二十四歳なんだけれども、私が皆さんぐらいのときに岡田有希子というアイドル歌手がいました。彼女が死んだあと、一カ月の間に三十人以上の中・高校生が飛び降り自殺をしたとマスコミ等で伝えられています。岡田さんの死は失恋によるものだと報じられましたが、ここで私が問題にするのは、後追い自殺をした少年・少女たちのことです。岡田さんの死が、彼らの自殺を誘発するものだったことは間違いないでしょう。みんなそれぞれに死ぬ動機を持っていて、岡田さんの自殺が引き金になったのではないかと思います。このことは自殺を心に秘めた人間は、私たちが想像するよりもずっと多いという事実を示しています。  一人の自殺者の背後には十人の自殺未遂者がいて、十人の背後には百人の自殺予備軍がいる、というふうにいってもいいでしょう。その自殺予備軍が、岡田さんの死をきっかけに現われたわけです。  自殺を少数の敗北者のものと考えたり、極端ないじめによるごく特殊なケースというふうに考えたりするのは危険なのではないかなと思います。自殺未遂者というのは、よっぽど有名人でなければ報道されず、私たちの目には触れません。でも私たちの周りにいることは確かです。その意味でも、「私とは違う他人」の出来事としてではなく、自分の問題として自殺とは何かを考えるべきです。  平成四年の大《おお》晦日《みそか》に、JR水戸駅のそばのマンションから五人の女子中学生が飛び降りて、三人が即死で二人が重傷を負うという事件がありました。助かった少女の一人は、「シンナーを吸っていたら誰かれとなく互いに死のうということになった。死ぬにはラリっていたほうがこわくない」と供述したそうです。当時の週刊誌は、リーダー格の少女が同級生からお金を借りてかえさなかったというトラブルがあったとか、その少女が家出をくりかえして施設に入れられ、施設を抜け出して四人の少女と合流してそのマンションに向かったということを報道しています。しかし、なぜ五人が集団で飛び降りたのかという謎はいまだに残っています。両親が仲が悪くて離婚したことから、「さがさないでくれ。もう死んでやる」という書き置きを残して家を出たリーダー格の少女が次第に追いつめられ、そこから先の逃げ場は残されてなかった、ということだと思います。そして友だちが同情した──。  こういう事件は以前にもあります。昭和五十七年にも横浜市で三人の女子中学生が飛び降り自殺をしているんですが、集団で自殺というのは女子中学生にみられる特徴のように思います。仲よしグループしか信じられなくて、他人がみんな敵に思えてきて、だんだん孤立してゆく。そして、誰も自分たちのことをわかってくれない、と思いつめるんです。  人間関係が狭くなると、生きていく空間は極端に少なくなってしまうのです。この少女たちを取り巻いていた、たとえば親たちが、その狭い場所で悲鳴をあげている少女たちに気がつかなかったことに、私は胸が痛くなります。  心理学者の岸田秀さんは、「世界の隅っこでブルブル震えているところを、誰かが後ろからひょいと押すと、たちまち外へ出てしまう。世界の隅っこに立っている、しかも非常に不安定に立っているわけですから、わずかな力で押されてももう外へ出てしまうわけです」と、自殺する子どもたちのことを解説しています。世界の隅でブルブル震えている若いひとは、私は大勢いるのではないかと思います。ブルブル震えている場所がたまたまビルの屋上だったら、そこから飛び降りてしまうのは案外簡単なことなのではないかなと思います。そこに少しでも似た境遇の仲間がいたら、手をつなぐようにしてジャンプしてしまうわけです。  私は、その子どもたちをどうやって救えばいいのかわからないけれども、世界の隅でブルブル震えている子どもたちのことをいつも感じています。 いじめられて自殺する  ごく最近(平成五年)ニュースになったので、みんなもまだおぼえていると思うけれども、北海道で女子中学生が飛び込み自殺をしました。彼女は、四時間目の授業中に仲のいい友だちに紙をまわして、その日のお昼休みに学校を抜け出して貨物列車に飛び込みました。その紙には、「今思っていることは死のうかなと思っているの。昼休みにいくの。議長をやらなくてもすむ。私がいじめにあった時も話してくれてありがとう」と書かれてあったそうです。そして「今、ドキドキしている」と書いてありました。私には、死に誘い込まれながらもこわがって震えている彼女のことが、よくわかるような気がします。  いじめにあっている子どもたちというのは、大勢います。一つの学校で一学年に一人いると考えても、全国の小・中・高校生の中には、信じられないほど多くのいじめられている子どもがいるということになります。そのひとたちの心の中に「自殺」という言葉が強く根を張っていることを思うと、これからもいじめによる自殺者というのは増えつづけるのではないでしょうか。  彼らに対して、「我慢しなさい」「耐えなさい」「親や先生に相談しなさい」などという言葉しかなかったとしたら、彼らの心に忍び寄ってくる死の影を、誰も消すことはできないでしょう。人間が三人集まれば派閥《はばつ》というものが生まれ、派閥ができれば、異質なものを差別したり、異質なものがなかったらそれを強引につくりあげてでもいじめるというのは、人間の根深いところに巣くっている病理のようなもので、その根を断つことは、極めてむずかしいことだと思います。だから、もしかしたら私たちは、ドキドキしながら次に自殺するひとを待つしかないのかもしれません。 [#改ページ] [#小見出し]  生きるだけでは満足できない 自我を守るために死を選ぶ  作家、マラソン選手……これまでの自殺者たちがその死を通して、何を私たちに語りかけているのか、考えてみたいと思います。  最初は寺山修司です。今年の五月は寺山修司の十周忌で、私は寺山さんとは面識ないんだけれども、なぜか若い世代の読者の代表ということで、テレビのドキュメンタリー番組のリポーターとか、シンポジウムに、寺山修司が若い世代にどういう影響を与えているのかを語ったりするために引っ張り出されました。  寺山さんは、若いころ、二年間闘病生活を送り、そのあともたびたび入退院をくりかえしていました。死ぬまでの数年間は医者に「演劇や映画をこれ以上つづけたら、あなたは間違いなく死ぬ」といわれていたそうです。それでも彼は、演劇も映画もやめなかったわけです。  寺山さんは病死なんだけれど、医者に死を宣告されてもなお仕事を持続したという意味で、私には自殺としか思えない。つまり、寺山修司は文学的な自殺というふうにいえるかもしれない。生きるということよりも仕事を優先したわけです。  死後数年して、生前の評価よりもさらに高い評価を受けて、今まさにブームといってもいいほどたくさんの書物が出版されて、多くの若い読者を獲得しています。  私は、もし寺山修司が生きるために演劇や映画をやめていたらどうなっていただろう、と考えたことがあります。寺山修司は、俳句、短歌、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、評論と、とても広いジャンルにわたって活躍したひとで、「私の職業は寺山修司です」というふうにいったひとです。だから、仕事をやめれば寺山修司ではなくなったわけです。私は、かりに生きていたとしても自分でなくなるとしたら、それは死よりも過酷で空虚な生を引き受けることになるのではと思います。  人間はただ生きるだけでは満ち足りることはできないのでしょうか。自分が存在している意味を確かめるために、ひとは個体が失われても、自我を守ろうとします。父親であるということを証明するために、溺れるわが子を助けようと川に飛び込むひとがいても、私たちは感動をもってその事実を受け入れます。関係もないひとのために命を投げ出すことさえあるくらいです。  自我というのは、いつでも壊れやすく、自我が崩壊すれば存在することの意義は感じられなくなります。他人を助けて自分が犠牲になるという英雄的な行為も私は自殺の一種だと考えています。援助を求めている人間がいたら、たとえ身の危険があろうとも、見捨てることはできない、というような自我を持っているひとは、もし見捨てたら自分が自分でなくなるという、個体の死よりも、もっと怖ろしい自我の崩壊に直面せざるをえないのです。  つまり自分が自分らしく存在するために、あえて個体の死を選ぶ、つまり自殺するということは、人間的な、あまりに人間的な行為なのではないでしょうか。  私は寺山修司は寺山修司でありつづけようとして死んだと考えています。 ぶざまに生きることを拒否する  岸上大作という人は、昭和三十五年、今から三十年以上前に短歌の世界に彗星《すいせい》のように現われて、石川啄木の影響を受けた優れた歌を次々に発表し、二十一歳の若さで自殺をした歌人です。  昭和三十五年は六〇年安保を闘った学生運動が最も高揚した時期でした。学生運動があとかたもなく消えてしまった私たちの時代では、大学のキャンパスで政治を語る青年はいなくなっていると思うんだけれども、六〇年代というのは、まさに革命前夜とでもいうような激しい闘争の時代だったようです。私たちの世代は、高度成長とバブルの中で、何の不足もない満ち足りた生活を送っていて、それが悪いというわけではないけれど、ディスコやディズニーランドに刺激を求めているだけのようです。  岸上大作は、大学に入学した日の日記に、「国文学の学究として俺の道を定めるため、この四年間経済的な悪条件と闘いつつ、大学で良い成績を残さなくてはならない」と書いています。この日記から向学心に燃える苦学生という、今ではもうなくなってしまった若者のイメージがはっきりと浮かびあがります。でも、当時はそれが普通の学生だったのではないかと思います。時代や社会と真っ直ぐに向き合い、勉学、そして政治や文学にも真摯《しんし》に取り組んでいる若者──。  だからといって、貧しい国をもう一度望んでいたり、ゲバ棒とヘルメットをかぶって街に出よう、とアジテーションしているわけではありません。それでも岸上大作のイメージは短歌を通して胸打つものがあります。   暗澹《あんたん》を背後の夜に触れながら   マッチともせり掌《て》をあつくして  時代に対する暗澹たる思いにおしつぶされそうになりながら、それでもなお孤独に情念の火を灯《とも》しつづける岸上の姿が眼に浮かびます。  私は、今の若い子は──私も若いんですが──一人で何かをすることを怖れすぎているのではないかな、と思うんです。私は、私より年下のまま、年をとることがない岸上大作と、四畳半のアパートで朝まで語りあえたらな、という感傷を捨て去ることができないでいます。私は、たった一人の岸上大作も生み出せない今の時代を、心の底では憎んでいるのかもしれません。  私は、岸上の場合は天才歌人の死というより、ナイーブで傷つきやすい若者の自殺というふうに考えています。現代で岸上のイメージを求めれば、尾崎豊ということになるのではないでしょうか。尾崎は事故死──病死ということになっていますが、彼の死が覚醒剤によるものだとしたら、彼もまた破滅願望からくる自殺なのではないかなと思います。けれど彼は、岸上にはあった、孤独に耐える力が希薄だったと思います。だから彼には、いかにも私たちの世代にふさわしい甘えが感じられます。  岸上の遺書にはこう書いてありました。 [#ここから2字下げ] 夭折《ようせつ》を美しいものとするセンチメンタリズムはよそう。死ぬことは何としてもぶざまだ。首をくくってのびきった身体、そしてその一部一部分、あるいは吐しゃ物。これが美しいと言えるか。問題は生きることがぼくにとってそれ以上ぶざまだということだ。 [#ここで字下げ終わり]  この岸上の、自己を突き放そうとしてもがいている姿には痛ましいものがありますが、「生きることがぼくにとってそれ以上ぶざまだ」という言葉は、生きている私たちを直撃します。ぶざまに生きることを拒否するというのは、すべての自殺者の共通の思いだったに違いありません。私たちは、ぶざまな生を引き受けて生きているわけだし、そのことを否定する気はありません。けれど、ぶざまに生きることになれて、尊厳を捨て去っても何の痛みも感じないような私たちの世代と自分自身に吐き気を催すことさえあるのです。岸上大作の死は私たちの世代を、「あなたたちの生き方こそぶざまではないか」と告発しているのではないでしょうか。 誠実であろうとして死を選んだ  円谷幸吉《つぶらやこうきち》は、東京オリンピックでゴールに倒れ込みながらも銅メダルを獲得して、日本中を熱狂させた長距離ランナーです。けれど、円谷選手がもっとみんなを驚かしたのは、昭和四十三年──私が生まれた年ですが──カミソリで首の頸動脈《けいどうみやく》を切って自殺をしたということです。というより、その遺書が当時のひとを震撼《しんかん》させたのです。 [#ここから2字下げ] 父上様、母上様、三日とろろ美味《おい》しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました。敏男兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゅうございました。喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴《いただ》き有難うございました。モンゴいか美味しゅうございました。 正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。 父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒《なにとぞ》お許し下さい。気が安まることもなく、御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。 [#ここで字下げ終わり]  この遺書は、遺書としては異様というか、どんな作家でも考えつかない言葉だったので、衝撃を与えたのだと思います。マラソンランナーが無惨な死を遂げて、こんな遺書を書くなんてこれ以上ドラマチックな自殺はないんじゃないかな。  自殺の原因は、一つには、その年にメキシコ・オリンピックがあって、東京オリンピックで銅メダルを取ったのだからメキシコ・オリンピックでは当然、金メダルだと、周りが騒いだんですね。体調が悪かったというのが重圧になって自殺をしたのだという説が一般的には流布《るふ》したようです。しかし彼には婚約者がいて、結婚したいなと思っていたのだけれども、メキシコ・オリンピックまではというふうに周りのひとに反対され、そのことに絶望して自殺をしたということが、沢木耕太郎氏が書いた『敗れざる者たち』というノンフィクションで、死後明らかになりました。  円谷選手の遺書の文章としての美しさはいうまでもなく、「美味しゅうございました」というリフレインにあると思います。そして、彼が名前を挙げているのはすべて、親戚だったり親だったり、血の繋《つな》がっているひとなんですね。一人一人の名前に込められた溢《あふ》れんばかりの愛情──。「幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました」というところは、痛ましさを越えて至上の美しさに到達していると思います。  私は彼のことを、疲れきって走れない挫折したランナー、周囲の人間の犠牲になった弱い人間だとは思いません。人間が人間であることにこれほどまでに誠実であることが可能なのだろうかと、己《おのれ》を律することができない私たちに、今なおショックを与えます。  このことで思い出すのは、バルセロナ・オリンピックで「コケちゃいました」といった、靴が脱げてしまった谷口選手のことです。谷口選手は、私が写真や映像で見るかぎり円谷と風貌《ふうぼう》が似ていて、風貌だけではなく純朴さにおいても似通ったところがあるように思うんですけれども、大きく違うのは二十四年という時の流れです。谷口選手も爽《さわ》やかではあるけれども、それでもなお「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」という円谷の遺書には言葉を失ってしまいます。誠実であろうとしたときに死を選ぶしかない人間の哀しみが、円谷の死には表われていると思います。 十二歳の詩人の死  岡真史は昭和五十年の夏に、彼の父親によれば、「折りしも暗い夜空にとどろいた雷光に裂かれて、蒼白く染った大空に自ら身を投げ」自殺しました。彼が私たちに遺《のこ》したものは『ぼくは12歳』という詩集です。彼は十二歳で死にました。十二歳の少年らしい素直さと、鋭い感性で書き留められた詩なんだけれども、これもちょっと読んでみます。   「おっくうな日」   雨の日   月よう 土ようのアサ   とってもおっくうな日   こうゆう日は   風のあたるところで   アイスティなんぞを   のんだりしながら   ロシア語の   べんきょうするのが   一ばんだ   「ぼくの心」   からしをぬったよ   体に   そうしたら   ふつうになったんだ   よっぽど   あまかったネ   ぼくの心って  これらの詩は、批評しても無意味でしょう。  最後のほうの詩というのは、   「ぼくはしなない」   ぼくは   しぬかもしれない   でもぼくはしねない   いやしなないんだ   ぼくだけは   ぜったいにしなない   なぜならば   ぼくは   |じぶんじしんだから《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》  こんな詩を書きながら、彼は何を思い、なぜ死を選んだのかと考えてしまいます。彼のお母さんは、朝鮮人の父と、日本人の母がいとなむ絶え間ない緊張にさらされた生活があの子の感性をより鋭くしていった、と語っています。  彼の死後発見された日記には、四年生のときにいじめがあって、いじめられたときに岡君はケロッとして、「大したことないんだよ、大人がみんな大げさに騒ぐからいけないのさ」とお母さんにはいっていたにもかかわらず、その日記には、「ぼくは今日、○○に泣かされた」「また、○○にやられちゃった。泣いてしまって恥ずかしかった」などと書いているんです。いじめは六年生のときまでつづいたそうです。担任との個人面談で事実を知らされた母親が心配して岡君に事情を訊《き》くと、「大丈夫だよ。先生の考え過ぎだよ」というだけだった──。  私は在日韓国人で、小学校のころひどいいじめにあって、校庭の真ん中で服を脱がされて全裸にされたということもあります。だから私は彼のことがわかる、というふうにはいいたくないけれど、この言葉には、深い共感をおぼえずにはいられません。   「ひとり」   ひとり   ただくずれさるのを   まつだけ  私は、どこの小学校にも、岡君のような子どもは必ずいると思うんです。何かの事情によって鋭い感性を持っている子ども、いじめられっ子、空想好きの子ども、死を予感しながら生きている子ども……そして彼らはある日あっけなく、死を選んでしまうのではないかなと思います。 日常のしがらみに耐え切れない  最後に太宰治。  太宰は、昭和二十三年六月十三日に、愛人だった山崎富栄という女のひとと玉川上水に入水《じゆすい》しました。きちんと整理された彼の部屋には二人の写真が並べてあり、写真の前には小さな茶碗《ちやわん》に入れた水と線香が供えられていて、妻にあてた遺書の傍らには子どもたちへのおもちゃがひっそりと置かれていたそうです。 「生まれてきて、すみません」という言葉から考えると、太宰治は、生存することへの意志が希薄だったひとともいえるし、実際に現実の社会の中で生きていたかどうかも疑わしい気がします。太宰は、虚構というか、彼の想念の中でしか生きていなかったのではないかと思うのです。  生きるということは、極めて現実的なことであり、日常的なものとのかかわりあいの中にあります。太宰は一切の日常とのかかわりを拒否したのではないでしょうか。私はそう思うんです。  彼の言葉でいうと、 [#ここから2字下げ] 人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬという言葉ほど自分にとって難解で晦渋《かいじゆう》でそうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は無かったのです。 物語を書き綴る以外には能がない。 まるっきり、きれいさっぱり能がない。自分ながら感じている。 教壇に立って生徒を叱る身振り手振りにあこがれ、機関車をあやつる火夫の姿に恍惚として、また、しさいらしく帳簿をしらべる銀行員に清楚を感じ、医者の金鎖の重厚に圧倒され、いちどはひそかに高台にのぼり、憂国熱弁の練習をさえしてみたのだが、いまは、すべてをあきらめた。何をさせてもだめな男である。確認した。そうして、自分にも、あまり優れたものとは思われない、たわいのない物語を書いている。 [#ここで字下げ終わり]  しかし人間は現実と日常を拒みつづけることはできません。愛人とのしがらみが雪だるまのようにふくらんで、別れたいと思っても一方的に捨てることはできない。そのとき、死ぬことが最も有効な解決法だと思うのは、当然のなりゆきです。  もしかしたら、彼は書けなくなったのかもしれません。いわれているように、死ぬことによって文学史上の自分の評価を決定的なものにするという、文学者としての野心があったのか──。  けれど彼が死んだのは、拒否しても拒否してもしがらんでくる日常から、もう死ぬことでしか逃れられないと思ったからではないかという気がします。  日常というものは、ある種の人間にとっては凶器のように自分を脅迫するものなんですね。狂うことができれば、その日常からはるかかなたに逃れることができ、日常そのものとの関係を断ち切ることが可能なのだけれども、狂えない者はどうすればいいのかなと、私は思います。どうやってその攻撃に耐えればいいのでしょうか?  日常的な世界へどっぷりつかっている人間から見れば、その日常への恐怖というのは理解できないに違いありません。だけどみんなも、たとえば電車に乗って突き飛ばされたりして、無神経なひとが多いなと思うことはありますよね。その無神経さに耐えられないのは若いひとに多いと思うんです。ある日突然、自分の父親に嫌悪感を抱き、許せないと思ったりするのは、子どもには珍しくありません。それがいつの間にか、その大人と同じように、日常に飼いならされた太った豚のような中年になって、それを無神経だと感じなくなり、自分が無神経な人間になってゆくわけです。  私は日常というのは、非情なものだと思います。その非情さに我慢できなくて自殺をした太宰治というひとは、私たちのかわりに死んだ殉教者だと思います。 死の向こう側《がわ》にある物語  ここでもう少し具体的に自殺について考えてみたいと思います。私がみんなにいいたいのは、自殺を自分の人生の中にプログラムすべきだということです。現代ではひとは死を忌み嫌っているようです。莫大な医療費、健康食品やビタミンやカルシウムの錠剤への異常ともいえる執着など、みんな自分の生命を延ばすことに必死で、遅かれ早かれ必ず死ぬということの絶対的な恐怖から逃げようとしているのではないかなと思います。  ひとは必ず死にます。だったら私は、たとえば殺人の犠牲になって死ぬより、無惨な事故死より、植物状態になって薬漬けにされて死ぬより、自殺のほうがはるかに美しい死に方だと思います。みじめな生を生きるより、死の向こう側にある物語に身を任せて、自己を完結するほうがいいのではないでしょうか。  私の友だちには、「人生で五人の友だちを見つけるのが生きる目的だ」といっているひとがいます。どういう基準で「友だち」とみなすのかと訊くと、死にたいと思ったときに自分を殺してくれるひと、だそうです。死にたいと思ったとき、友だちに安楽死を依頼して、遺書を書くのだそうです。依頼して六カ月以内にその五人のうちの誰かが、しかるべき方法で殺してくれればいい──と、ざっとこんなふうらしいのです。どうしてそんな方法をとるのかと訊くと、自殺する勇気がないからだと笑いました。そして、「友だちは五人できましたか」と訊くと、「まだ二人しか見つからない」といっていました。  彼の話はちょっと滑稽《こつけい》だなと思うけれど、殺してくれる友だちが五人も見つかれば羨《うらや》ましいような気がします。死にたいのに勇気がなくて死ねないでいる友人を殺してあげる以上の愛はないと思うからです。その友人が死を選ぶのは、病気や、そのほかの理由で、一人で生きていけないことになった場合と、会社が倒産した場合だそうです。彼はそれこそ、それまで必死で生きているように私には思えます。  もう一人の友だちというのは、あらゆる自殺の方法を考えたひとで、たとえば、週刊誌でアメリカで楽に死ねる自殺の機械がつくられたという記事を読むと、それを調べあげて国際電話をかけて、その機械を譲ってくれないかといったそうですけれども、それは裁判の決着がつくまで譲れないという話をきいて、ちょっとがっかりしていました。  彼が採用した方法というのは餓死です。彼は一週間以上何も食べなければ死ぬと思っていて、一年に一度五日間、ホテルに泊まって何も食べないで眠るんです。自殺をリハーサルしているんですね。朦朧《もうろう》とした意識の中で生きかえるわけなんですけれど、彼は「いつでも必ず死ねる」と豪語《ごうご》しています。「いつ死ぬんですか?」と私が訊くと「生きている価値が感じられなくなったら」というふうに彼はいうのです。 「向こうはとても美しい」  ところで、戦後の日本人の自殺方法の一位から五位までというのは何だと思いますか? 挙げられるひと、いますか? 一位って何だと思います?  当たったら、今度お茶を飲みに行きましょう(笑)。  首吊り自殺が一番で、二番目がガス自殺。三番目に服毒自殺で、四番目が入水自殺で、五番目が飛び降り自殺。そのあとに、飛び込み自殺、焼身自殺とつづいています。  アメリカの発明王エジソンは、最期に「向こうはとても美しい」といって死んだそうです。私は、彼の言葉を信じているわけではないんだけれども、二十代のうちに自殺をしたいという願望を捨て去ることができません。本を読んで、自殺の方法はどれがいいかなんて探しています。いいと思ったのが二つあって、一つはサン・テグジュペリの『星の王子さま』。  星の王子さまは、星に残してきたちっぽけな花に会うために、三十秒の間にひとの生命を断ち切る蛇に噛まれて死ぬんですね。蛇に、「きみ、いい毒、持ってるね。きっと、ぼく、長いこと苦しまなくていいんだね?」といって。 『星の王子さま』を書いたサン・テグジュペリという作家は、飛行士だったのですが、飛行機に乗ったまま、遺体も発見されずに──、死んでしまいました。  もう一つは、梶井基次郎の『Kの昇天』という小説です。「──或はKの溺死《できし》」という副題の通り、満月の夜に海で溺死したKという男の話です。眠れない主人公が砂浜を散歩し──、そこでKに出会うんです。Kは、落とし物を探しているみたいに、砂の上を行ったり来たりしています。「何か落とし物をなさったのですか」と訊《たず》ねると、Kは「自分の影を見ていた」と答えます。「月の光の中で自分の影をジーッと見つめていると、だんだん自分の姿が見えてきて、姿がはっきりしてくるに従って、月に向かって昇天していく。今は何べんやっても落っこちるんだけど」とKは笑います。主人公は、Kが満月の夜に溺死したことを知り、影を追いかけながら海に入り、意識が戻らないまま月に向かって昇天していったのではないかと考えます。  私もKのように、できれば砂浜から海の中にスーッと影を追いかけて行きたいのだけれど、それは中学のころに失敗してしまったので、断崖の上から飛び降りれば確実かなと思っています。誰もいないと淋しいので、崖の上にタンポポか何かが咲いていて、そのタンポポに私の生死の瀬戸際《せとぎわ》を見ていてほしいなと、メルヘンチックなことを考えています。  私は、何回もいったけれども、生に対する執着というのがすごく強いんですね。だから裏返しなんですよ。生きたいと死にたいというのは全くイコールなんです、私にとって。私は本屋や図書館に行くと、お墓みたいだなと思うんです。本の背表紙は墓標、それはその作家が生きた証《あかし》にほかならないわけで、だから私は書いて、生きたいんです。もっと生きたいから、ダラダラ生きているのがイヤだから、自殺すると決めて、それまで生きようじゃないかと強く思っているんです。 死がなければ生もない  最後になりますが、私はここで逆説的に自殺のすすめを皆さんにしたいと思います。  私の自殺のすすめというのは、さっきいったように、自分の人生の中に自殺をプログラムすべきだということです。「それでは、まずあなたが死んでみたら」という声が聞こえてきそうだけれども、私は自分の中に自殺をプログラムしていて、書きたいことを書いたら、自殺をするつもりでいます。  問題は死ぬことよりも、死んだように生きることだと思います。岸上大作のときに話したけれども、私たちにはかつての学生運動のような主義主張のために死ぬ政治的な死というのはないし、ソマリアの難民のように飢えて死ぬということもないと思います。けれど、死がなければ生もないんです。永遠に生きられるとしたら、自殺を望むひとというのはものすごく増えるのではないかなと思います。なぜなら、それは生というよりも、ダラダラつづく頽廃《たいはい》と、退屈でおぞましい世界で、人間がそれに我慢できるはずはないからです。  もうかなり昔なんだけれども、『月光仮面』という漫画がはやったときに、風呂敷をマントにして崖から飛び降りて、十人以上の少年が死んだということがありました。私は、その子どもたちを、ばかだという気にはなりません。少年たちは想像の中で空を飛んだのではないかと思うからです。人間が漫画のヒーローのように空を飛べないということを認識している少年は本当に幸福なのかなと、私は思うんです。世界は、そういうふうな無謀《むぼう》な想像力で動いてきたに違いありません。自殺もまた、現実や原則にべったりの人間にとっては、愚行《ぐこう》としか思えないでしょう。しかし私は現実的な物語ではない劇的な物語をつくってほしいといいたいんです。私は、ひとは物語をなくしては生きていけないと思っています。  決して破綻《はたん》することのない物語をつくって、もし万が一、その物語が壊れても、すぐさま別の現実的に可能な物語をつくるという生き方が、果たしていいのかどうかと思うんです。たとえば高校を出て大学に進んで、何年かして就職をして、子どもは二人ぐらいつくって……というような物語を、皆さんが本当に望んでいるのか、ということです。 物語が壊れたとしても  ひとは自分の物語が壊れたら、どうするでしょうか。あきらめて、気をとりなおして、かわりの物語をつくるでしょうか。  自殺をするひとというのは、こうです。  たとえば、自分の子どもを愛情を込めて育てていたとします。海水浴に行って子どもを溺死させてしまいます。その場合、その父親はそれまで、子どもを守るという物語と、子どもを愛しているという物語を生きてきたのに、子どもを守るという物語が壊れたら、どうして生きていけばいいのかわからなくなる。のっぴきならない状況になって、彼はそれまで生きてきた愛しているという物語を完結するために自殺を選ぶのです。  たとえばAという女の子とBという女の子が、とても仲がよかったとします。その子たちは、はたから見ても異常なくらい仲がいいんです。Aが男の子を好きになってBから離れ、それがきっかけで二人の仲が壊れてしまう。裏切られたと思ったBは自殺する。この場合Bは、親友に裏切られても別の友だちを見つけて生きるという物語を拒否して、本当にAを信じていたし、二人の友情は絶対的だという物語を選択したということになります。ばかだな、そんなことで死ぬなんて、とはどうか考えないでほしいんです。Bは友情は絶対だという幻想の殉教者だと私は思うからです。 「ゆるやかな自殺」という言葉があります。たとえば、私は中学からお酒もタバコもやっているんだけれども、特にタバコを喫《す》うというのは、嫌煙者からは「ゆるやかな自殺と同じだ」というふうにいわれます。「体を蝕《むしば》んで肺|癌《がん》になるのがわかっていながら、やめようとしない」といわれます。けれど私は、ひとというのは、みんなゆるやかに死んでいるんだと思います。ひとはみんな自己の生命の維持にきゅうきゅうとして生きているんだという、嫌煙者の前提が間違っているのです。  私は、タバコを喫い、お酒を飲みながら、友だちと朝まで語りあかすのを、「それであなたの生命が二年短くなるよ」といわれたとしても、やめようとは思いません。朝早く仕事があっても、そのために夜、読んでいる本を早く閉じて眠ろうとも思いません。健康のために自分のやりたいことを我慢するなんてことは、毛頭したくないんですね。  人間は死に向かって進んでいて、急ごうが、ゆっくりだろうが、死ぬということは確かです。だから生きているという充足感を得たいと強く思って生きているんだということを、私はくりかえしいいたいのです。 「自殺的行為」という言葉があります。それは、無謀だとか、「ちょっとあんたクレイジーだね」とか、危険だということをいうときに、非難の言葉として使われます。でも私は、若いひとたちが、危険でも無謀でもない、安心で平穏な道を選択してもいいとは思いません。死が待ち受けることのない冒険はないのです。  風船でアメリカ大陸を横断しようとした、風船おじさんというひとがいました。風船おじさんにはある種の滑稽なイメージを抱かずにはいられないんだけれども、あれを自殺と考えたら華麗にして独創的な方法だったのではないかと思います。コロンブスはアメリカ大陸に上陸し、風船おじさんは行方不明だというだけで、アメリカ大陸を目指し、名誉と富を──風船おじさんが目指したかどうかわからないけれど──求めて、常識に背を向けて飛び立ったということでは、コロンブスも風船おじさんも同じだと思います。しかし、一人はヒーローになり、一人は悲劇、あるいは喜劇のひとになったわけです。  皆さんは悲劇のひとになりたいとも思わないだろうし、ヒーローになろうとして生きているわけでもないと思います。だけど、情熱も感動もなく、ただ生きてさえいればいいというひとはいないでしょう。だからそれぞれの人生の中に自殺をプログラムするということは、生の活性化になるのではないかといいたいのです。死を忌み嫌うのではなく、生の中に死が潜んでいるということを意識することが大事なのです。  これで終わります。  それでは、暑い中、しゃべり下手な私の話を聴いてくれて、どうもありがとうございました。(拍手) 〈このレッスンは、一九九三年七月十九日、神奈川県立川崎北高等学校で行われた〉 [#改ページ] [#小見出し]  放課後のおしゃべり 自殺をしようと思ったことは? [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 私ばかり話していて眠くなるひとが出ると困るので、まず私が話して、皆さんがそれに関する質問をする、というか、雑談でもいいんですけど、おしゃべりをして、また私が話すというスタイルで進めていきたいと思います。   えーっと、これ(『完全自殺マニュアル』)を読んだひとはいますか。 ★ ほしかったんですけど、どこへ行っても売り切れで、買えなかった。 柳[#「柳」はゴシック体] どうしてほしかったの? ★ 友だちが読んで、おもしろかったというから。 柳[#「柳」はゴシック体] あなたは興味あります? ◆ 友だちから聞いて読もうと思ったんですけど、読みませんでした。 柳[#「柳」はゴシック体] 読もうと思ったというのは、自殺に何か関心があったんですか? ★ 自分がしようとは思わないです。 柳[#「柳」はゴシック体] 自殺しようと思ったこと、一度もない? ★ はい。 柳[#「柳」はゴシック体] あなたは、あります? ◆ ないといったら嘘になるけど……。 柳[#「柳」はゴシック体] どういうときにそう思いました? ◆ 死んだほうが楽そうに思ったとき。 柳[#「柳」はゴシック体] どんなとき? ◆ ひとに会うのがイヤになっちゃったりして。 柳[#「柳」はゴシック体] よくありますよね(笑)。会うどころかコンタクトすることさえオソロシイと思うことがある。電話なんかかかってくるじゃないですか、最近はファックスが流れてきたりもするんだけれども。私は留守電にしといて、直接出ないようにしてるんですよ。どういうときに、会うのがイヤになります? ◆ もうずいぶん前のことなので、あまりよく覚えてない。なんでイヤだったんでしょうね。 柳[#「柳」はゴシック体] 学校に行ってたとき? ◆ 全部嘘っぽく思えちゃって、だったら死んじゃっても一緒かな、と思って。何が嘘っぽいんだか、よくわからないんですけど。 柳[#「柳」はゴシック体] なんか、いかがわしいぞ、と? ◆ そうそう。 柳[#「柳」はゴシック体] あなたは、死のうと思ったことが一度もない? ★ 死のうというのはないですね。死んだらどうなるかを想像するというのはあるんですけど。 柳[#「柳」はゴシック体] 想像すると、どんな感じ? ★ やっぱり家族のこととか、周りの人の生活はどうなるかなとか考えたりはするんですけど、しようとは思っていない。ただ「どうかな」と考えただけで。 [#ここで字下げ終わり] 犬の死、そして家出 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] これはエッセイで書いたことがあるんですけれども、うちに父親が競馬で大穴を当てて買った血統書付きの犬がいたんですね。ある日、父親が犬小屋の前で泣いてたんですよ。なんで泣いてたかというと、父親はパチンコ屋に勤めていたんだけれども、父が血統書付きの犬をあんまり自慢したから、そのパチンコ屋の社長に犬をよこせといわれて、その犬を連れていかなければいけない。それで一晩中犬小屋の前で泣いて、次の日に犬を連れて行ったんです。そうしたら、一週間後に、社長がその犬を餓死させたんです。餌もやらないし散歩もさせないで、鎖につないだまま餓死させてしまった。つまりそれは、犬がほしかったのではなくて、単にひとが持っていて自分が持っていないのが悔しいから奪って殺しちゃったということなんですね。私は哀しくて泣くということはあまりなくて、どういうのかな、怒ったら泣くことがあるんだけれど、とにかくそのときは怒って泣きました。小学校三、四年生だったけれど死んでしまおうかなと川に行きました。   私の母は男たらしで、次から次へ父以外の男と関係していったんですね。私は彼らに何度か会ったことがあって、一度、サングラスをかけた男の車の後部座席に乗って、原宿のラフォーレに連れて行かれたことがあるんです。そのとき、母がヒソヒソいうんですね。「高いものにするのよ」って。「いらないよ」と私がいうと、母は「これ似合うんじゃない?」と、十万近い革ジャンをハンガーからはずして「買ってもらいなさい」と私の背にかけるんです。   私は女というのがイヤだったし、いまでもイヤなんです。化粧もしないし、口紅も一本も持っていない。女っぽいというのはだめなんですね。だから、男のひとに「柳さんは女っぽいね」とか「女らしいね」といわれると、カーッとして「え? 私のどこが女っぽいの!」と怒ってしまいます(笑)。生理がはじまったときには、「ああ、これでもうおしまいだな。死んでしまおうかな」と思った。   あとは、みなさんと似ているんだけれども、学校に行っていて嘘くさいなと思ったのね。横浜の山手という場所にある女子校に通っていたんです。女子校ばかりいくつもあるところで、通称「乙女坂」といわれてる坂があるんです。五校ぐらいの女子高生が、ひつじの群みたいに坂をのぼるから「乙女坂」といわれているんだけれども、その一群の中に身を置く自分を許しがたいような気持ちだった。 [#ここで字下げ終わり] 口にするうちは大丈夫 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 友だちで、自殺したひとは? ※[#スペード黒、unicode2660] 自殺したがっているのはいますけど、したのはいないですね。 柳[#「柳」はゴシック体] 自殺したがっている子というのは、どういう子ですか。 ※[#スペード黒、unicode2660] あんまりしゃべってくれない子だから、はっきりわからないんですけど、「もうめんどうくさいし、生まれたときから人生を楽しめないようにできている体なんだ」とかいってます。 柳[#「柳」はゴシック体] すごい、哲学ですね。 ※[#スペード黒、unicode2660] 女の子なんですけど、見かけはクールな子というか、全然盛りあがったりしない。 柳[#「柳」はゴシック体] あなたもクールな感じがするけど。 ※[#スペード黒、unicode2660] どうかなあ。 柳[#「柳」はゴシック体] 年のわりに醒めているというか──。 ※[#スペード黒、unicode2660] 高校生って、「死にたい」ってよくいうと思うんですけど、あんまり信憑性《しんぴようせい》はないんじゃないかな。でも、その子の場合は本当にしちゃうんじゃないかという気がする。 柳[#「柳」はゴシック体] いっているうちは大丈夫だなという気がしますけどね。 ※[#スペード黒、unicode2660] そういう気もするんですけど、ただ私は、わりとその子に近いところにいたから、クラスの子に対する顔と私に対するしゃべり方と全然違って、ほかのひとにはいい顔見せているひとだから、そういう普通の生活的なところはちゃんとやっているからかえって危ないんじゃないかな、と。表面的にちゃんとやっていることが、いちばんきついことなんだと思うんですよ。 柳[#「柳」はゴシック体] それはそうでしょうね。現実とのズレを無理してごまかしてるんですから。 ※[#スペード黒、unicode2660] 手首を切ったあとはあるんですけど。 柳[#「柳」はゴシック体] 自殺未遂をしたわけか。自殺を試みた私の経験からいうと、ぎりぎりのところで、自分がいかに生きたいかを確認するためにやっているようなふしがある。たとえば新宿あたりでビルを見あげて探すわけですよ。植え込みがあったらだめだとか、途中に屋根とかひさしがあったらひっかかって怪我程度で終わっちゃうな、とか。そういうものがないところを見つけてフェンスを乗り越えるんです。乗り越えたときに、いかに自分が「生きたい」と思っているかがわかる。思いきって飛べば死ねるんだなって思うんだけれど、その瞬間、アドレナリンのせいかどうかはわからないけれど、生きてるって実感が持てることがあって、結局思いとどまる。だから、その子も一度そこまで行ってみればいいんじゃないかなという気がしますけどね。無責任だけど。   私は、その子みたいな状態で、中学二年のころ、精神科に通っていたんだけれども、最近その先生に会いに行ってカルテを見せてもらったんです。カミソリで手首を切ったとか服毒自殺をしようとしたとか書いてあって、それを見て、「あなたは本当に死にたいと思っていなかったでしょう」といわれた。「あなたは余裕があったんじゃないですか。小さい子どもがケン玉をするみたいに手首を切ったりしていたんじゃないですか。友だちもいなかったし、ケン玉で遊ぶかわりに自殺ゴッコをしたんじゃないですか」といわれて、「なるほどな、そうだったかもしれない」と(笑)。切るときは、二人になるんです。切る自分と、切られて痛い自分と。傷つける自分と傷つけられる自分がいて、それで遊んでいたんじゃないか、と……。   そのとき、精神科のお医者さんに「最近もあのときみたいな感じなんですけど、どうしたら治るでしょうか」と相談したら、「ばかもの」といわれて。「そういう中で書いているんじゃないですか、薬でおさえることはできるけれど、そうしたら、あなたは書けなくなるんじゃないですか」といわれて、どうしようもないなと思いました。「あなたみたいなタイプは、死ぬことはきわめて少ない」というんだから。どこかで観察して楽しんでいるのであって、生きたいということを確認してるんだって。必ずしも精神分析を信じているわけではないんだけど、思いあたることがないわけじゃないって感じです。 [#ここで字下げ終わり] 生きることは義務なのか? [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ───高校生にアンケートをとったら、自殺はやっぱり悪いことで地獄に行くというような倫理的なことをいうひとが多かったんだけれども、それについてはどう思う? ※[#スペード黒、unicode2660] 私はそういうのはあまりなくて、生きるのは義務だと、あんまり理屈じゃなくて思っているところがあるから。 柳[#「柳」はゴシック体] でも、生きるのが自由だとすれば、死ぬ自由もありますよね。 ※[#スペード黒、unicode2660] 生きるのが権利だと思ったら、終わるのも権利だと思ってしまうから、そこを自分で義務だと思うことにして……。 柳[#「柳」はゴシック体] 義務だというのは、イヤでも耐えなければいけないということ? ※[#スペード黒、unicode2660] そうです。生きている中で選ぶことは権利だけれども、生きること自体は義務だと思う。 柳[#「柳」はゴシック体] なんで義務だと思うの? ※[#スペード黒、unicode2660] なんでなんだろう……。 柳[#「柳」はゴシック体] とにかく生きる時間、自分の寿命を生き抜くのが義務だ、と。それは宗教的なことじゃなくて? ※[#スペード黒、unicode2660] そういうことじゃなくて、ただ……。 柳[#「柳」はゴシック体] じゃ、老いについてはどう思います? ※[#スペード黒、unicode2660] イヤですね。 柳[#「柳」はゴシック体] 老いてボケてしまったときに、どうだろうか。 ※[#スペード黒、unicode2660] それを考えると、やっぱり……。前に友だちと話したときには、遅くとも五十までには死のうという話をしたんです。 柳[#「柳」はゴシック体] でも、それは自殺じゃないですか。矛盾してる。 ※[#スペード黒、unicode2660] そうなんです。矛盾してるんですけどね。そのときは、友だちと八人ぐらいでしゃべっていたのかな。私はバンドをやっていて……。 柳[#「柳」はゴシック体] どういうバンドをやってたんですか。 ※[#スペード黒、unicode2660] ピンセストというバンドで……。 柳[#「柳」はゴシック体] ハードロック? パンク? ※[#スペード黒、unicode2660] パンクもやっていたし、ハードロックもやっていたし、みんな趣味が違ったから、一曲ずつ持ち寄ったりしてやっていたんです。 柳[#「柳」はゴシック体] パンクというのは、破壊しちゃえということですよね。クールなように見えて、なんか矛盾してますね(笑)。五十までに死んでやれとか、破壊してしまえとか。   子どもは産みたいと思います? ※[#スペード黒、unicode2660] 私は別に。結婚もしたくないし。 ◆ 私は産みたいと思います。育てるのはおもしろそうだし。 柳[#「柳」はゴシック体] 私は太宰治が好きなんだけれども、太宰がいった言葉で、「親がいても子は育つ」というのがあって、その通りだと思うんです。私は親がいなかったらどんなに楽だったか、といつも思ってました。だから、いなかったらいなかったで、しっかり育つんじゃないかな。かりに五十歳以上まで生きたくないとして、子どもに対して責任があるから死ねないな、というのは、私はちょっと変だと思うんですよ。つまり親だとか、夫だとか、子どものために生きるというのは、自己犠牲の精神で、日本人はそれをわりと美化するようなところがあると思うんですけど、他者のために生きるという精神は、私は好きじゃない。国家のために死ぬなんてことの裏返しですからね。 [#ここで字下げ終わり] 嘘なんていっぱいある [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 老いって、どういうイメージなのかな。 ※[#スペード黒、unicode2660] 下り坂(笑)。 ───それはいくつぐらいの年齢からのイメージ? ※[#スペード黒、unicode2660] そうですねえ……。 柳[#「柳」はゴシック体] 二十四って、もう「おばさん」という感じがするでしょう。中学や高校で、教育実習生がやってくるじゃないですか。「あんなおばさんになったらおしまいだ」と思ったけれども、すっかりおばさんになってしまった(笑)。私の友だちで「三十過ぎは信じるな」といっていたひとがいるんだけど、三十過ぎたら、「四十過ぎは信じるな」だって(笑)。   でも、作家だと、四十歳で死んでも「早すぎた死」などといわれますよね。「まだまだこれからだったのに」といわれる。そういう意味で、四十で死ぬというのはいいかもしれないですね。何か定まってきて、やることはやって、子どもがいるかいないかはわからないけれども、「あとは任せるよ」と。 ───時間を止めちゃいたいみたいなことは思わない? ◆ ないですね。私、今のまま止まったらイヤですね。自分があんまり未完成だから、ちょっと困ります。 柳[#「柳」はゴシック体] 完成したい? ◆ もうちょっとは。 柳[#「柳」はゴシック体] 私は、完成したいというのはあるんだけれども、いつまで経《た》っても未完成じゃないかと思うのね。 ◆ それはそうだけど。 柳[#「柳」はゴシック体] 八十で死んでも百で死んでも、「まだやり残したことがあったのに」というふうに思うんじゃないかな……。だから、いつ死んでも同じかな、というのはある。 ★ 名前は忘れたんですけれども、ある画家が、九十歳ぐらいになったときに三十年ぐらい使える絵具を買い込んだと……。 柳[#「柳」はゴシック体] いい話ですね。 ★ そういう精神状態だったら、生きていてもいいんじゃないかなと思うんですよ。 柳[#「柳」はゴシック体] でも、逆にそういう精神状態だから死んでもいい、と……。つまりさ、その画家の話と、十五歳で九十年生きたって思う気持ちは、どこかで同じじゃないかと思うんです。あなたもどんどん坂道をころがり落ちていきますよ。 ★ 一回イヤだと思ったから。何もかもイヤになったことはある、小学生ぐらいのときに……。自分がもう子どもじゃないんだって。 柳[#「柳」はゴシック体] 小学校のときに下り坂だと感じたの? ★ 下り坂というんじゃないけど、そのときに、人間の言動なんて嘘なんだなと感じたことがあって。 柳[#「柳」はゴシック体] 何をきっかけに? ★ クラスに障害をもった女の子がいて、口がきけなかったんですよ。喉《のど》の手術をして、声は出るはずなんだけどしゃべれないという状態になった子がいて、私がその子の世話というんじゃないけど、席を隣にされたりして、先生に頼まれたんです。その子はだんだんしゃべれるようになるんですけど……。 柳[#「柳」はゴシック体] あなたがきっかけで口をきいたりするようになったの? ★ だろうと思います。 柳[#「柳」はゴシック体] 中学のときにあなたみたいなひとがいたらなあ。そうしたら、しゃべれたかもしれない(笑)。 ★ 横でいいたい言葉をポソッというんですよ。たとえば、小学校二年生ぐらいだから、授業中にトイレに行きたくなっちゃったりすると「トイレ」と私にいうんですけど、私の役割としては、それを私が先生にいうんじゃなくて、彼女にいわせなければいけないという役割で、「じゃ、最初に『ト』っていってごらん」というふうにしてつづけていわせる。それが苦痛で。苦痛だと感じても、顔は笑うというか、私は一生懸命な顔をしていわせようとするわけじゃないですか。「別にこの子が口をきいたって私はうれしくないのにな」と小二のときに思って以来、嘘のことなんていっぱいあるんだ、と思って。 柳[#「柳」はゴシック体] それは嘘とはいえないと思いますよ。あなたが他者に出会ったってことなんです。他者を認識するってことがいちばん大切なことなんですよ。自分と異なる存在を知り、あなたの場合、とりあえずその口がきけない子なんだけれど、それだけじゃなくて、自分の中の、もう一人の自分、つまり他者に気づいたってことなんです。   あなたの話を聞いてると、妹のことを思います。妹はそういう子に寄りつかれるんですよ。彼女はアパートを借りているんだけれども、そういう障害をもった子が泊まりがけでやってきたりするんです。妹は親の過保護《かほご》が原因だというんだけど、口がきけない子とか、髪の毛が抜けてハゲになって、眉毛《まゆげ》も睫《まつげ》も全部抜けちゃったというような子とか。その子たちは「他人に笑顔を向けられるのがイヤだ」というらしいのね。その中には、小学校から一言もしゃべらなくて精神科やいろんな専門家と称されるようなひとのところに連れて行かれて、霊媒《れいばい》師のもとへも連れて行かれた子がいるんです。その子は、大人たちが「大丈夫だよ」といってニコニコと笑うのが気持ち悪くてしゃべれないというのね。妹が笑わないでごく普通のひとと同じようにつきあっていると、そのうち何となくしゃべりはじめて、その子のお父さんからは感謝の手紙が届いて、今でも暮れにはお歳暮が届くんですって。 ★ 話は違うんですけど、道を歩いていて、「出会ったひとの健康と幸せをお祈りしているんですが……」と声をかけられるんですけれど、「ほんとかよ」と思っちゃう。 柳[#「柳」はゴシック体] 私も、「私がかわりに祈ってあげようか」といっちゃう(笑)。 ★「祈りましょう」といっているひとが、みんな幸せそうじゃないんですものね(笑)。 柳[#「柳」はゴシック体] そうですよ。それこそ、健全で文句なしに立派なことをいっているひとのほうが、きまって気味悪い笑いを口元に貼りつけている。 [#ここで字下げ終わり] 死んでくれないかな、という期待 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 私がある劇団にいたときに、共演していた女の子が自殺したんです。先輩だったんだけれども、そのひとが死ぬ十日ぐらい前に、私はそのひとにすごく嫌われてたらしくて、「柳美里だけは、どうしても許せない」といわれたんです。どこかで自分と近かったから許せなかったのかなと思うんですね。   彼女は、男のひとと暮らしていたんですけど、その男のひとに何かのはずみで「死んでやる」といってしまったんです。彼が冗談だと思って無視していたら、彼女は、マンションのベランダから飛び降りるところを見せないといけないかなと思ってしまったんですね。それでベランダの柵《さく》を越えようとしたら、酔ってたせいもあってグラグラときてしまった。彼は慌ててベランダに走って、手をつかみ、手をつかんだときに、彼女は「助けて」と叫んだ。彼は二十分くらい必死になって引きあげようとしたんだけれど、手一本では支えきれなくて彼女の手を離してしまって、落ちて死んでしまったんです。彼が殺したんじゃないかと疑いがかかって警察で長時間|尋問《じんもん》されたんですが……。   葬儀などで、彼女の死因を告げるとき、死因を何といえばいいか問題になって、結局、彼女の両親と劇団の上のひとが相談して交通事故死ってことになったんです。事故死といえば、そうともいえるんですけど、好きなひとをギリギリのところで、自分に振り向かせるために、一線を越えてしまったというのは、やはり自殺だったのでは、と思います。世の中には事故死として扱われていて、本当は自殺だったというケースが、けっこうあるんじゃないかという気がします。 ◆ 私の高校のときの友だちで、やっぱり自殺しそうな子がいて、みんなで「危ないね」といっていたけれども、どこかで死んでくれないかなと期待しているところがある場合がありますよね。 柳[#「柳」はゴシック体] ありますね。だから逆に私も、友だちなんかに「死なないでよね」といわれるんだけれど、どこかで期待されているのかなという気がするんです。 ◆ スケープゴートみたいに。一人の友だちがいったのは、「あの子が死んでくれたら、私たちも変われるかもしれない」ということなんです。   自分は死にたくないけれども、相手の死で変われるかもしれない、みたいなことはありますよね。特に学校みたいなところだと、何も起こらないし、何か起こるといいな、みたいな感じがあって。 柳[#「柳」はゴシック体] だから、尾崎豊が死んだときにあれほどひとが集まったのは、どこかで死なせたかったのかなというのがあるのね。彼には死んでほしかったというのが……。はみ出して、はみ出して、学校や社会からもはみ出して、覚醒剤だの何だの、生きるということからもはみ出して向こう側に行ってほしいというのがあったんじゃないかなと思うんです。みんなうれしかったんじゃないかな。お祭ですよね、あれは……。いい方は悪いけれども。自分は越えられないけれども、彼には越えてほしかったんじゃないかなと思う。 ◆ 執拗《しつよう》ないじめとかって、そういう側面があるのかしら。スター性がある非常に頭のいいきれいな子が死んでくれたらいいと思う反面、逆に、こいつなら死んでもいいや、みたいな感じでいじめの対象になる子がいますよね。 柳[#「柳」はゴシック体] なんか、残酷だね(笑)。でも、それは代償《だいしよう》行為だと思う。   私、小さいころ、虫を殺すのが好きだったんです。手足をもぎったり、踏みつぶしたり、エスカレートしちゃって犬を鎖で叩《たた》いたり、家で飼っているカナリヤを水に沈めたりしたんだけれども、それは自分が学校でいたぶられたり、家庭でいたぶられたりしていることの代償行為なんですね。それがいま私は男のひとに向かっているんじゃないかなと思うんだけど(笑)。サドじゃありませんよ、いっときますけど(笑)。  『禁じられた遊び』のようにどんどんエスカレートしていくんですよ。大きいもの、大きいものへというように……。虫よりは小鳥、小鳥よりは犬、最近は犬よりは人間になっちゃって(笑)、よくないかなと思うんだけど。 ───尾崎豊なんか、どうでした? 好き、嫌いは別として。 ※[#スペード黒、unicode2660] 彼は嫌いじゃないですけど、彼のファンはあまり好きじゃないというのはありますね。 ◆ どうして? ※[#スペード黒、unicode2660] あんまり見た目がよくないというか(笑)。 ◆ 尾崎はけっこう目立った死に方だったでしょう。いちばん派手だったでしょう。みんなの中で印象に残ったと思うんだけど。 柳[#「柳」はゴシック体] 好き? ◆ 自意識過剰の人って、嫌いなんです(笑)。 柳[#「柳」はゴシック体] 私も嫌われてしまう(笑)。 ※[#スペード黒、unicode2660] 私は、アーチストで自意識がないのはイヤですね。 柳[#「柳」はゴシック体] パンクを歌っているからね(笑)。 ───尾崎の死に接して美しいと思った? なかなか理想だな、と。 ※[#スペード黒、unicode2660] そうですね。 ◆ 私はどうでもよかった。なんかすごいことになっているけれども、「あ、そう」みたいな感じだった。 柳[#「柳」はゴシック体] 彼こそナルシシズムの極致ですよね。うっとりしているひとで、だから歌詞が宗教的なんですよ。「愛」という言葉が頻繁に出てきたり。 ※[#スペード黒、unicode2660] そうですね。だから好きか嫌いか分かれると思うんですけれども。 柳[#「柳」はゴシック体] 私は宗教には行けないんです。疑っていたい。信じるより「なぜ生きるか」という疑問符の方に行ってしまうのね。 [#ここで字下げ終わり] 本当は誰かに止めてほしい [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ★ 柳さんの、ひとはなぜ自殺をするのかということの論点は、要するに自殺というのはかなり崇高《すうこう》な行為というか、人間的な行為だというのがあるんでしょうか。 柳[#「柳」はゴシック体] 崇高なことかどうかは別にしても虫は自殺しませんものね。蟻《あり》が「もう生きているのはイヤだ」といって水に飛び込んだり、ペンギンが卵を温めていて「子どもが育てられない」って何かに頭をぶつけて死んだりはしませんからね。人間的な行為だということだけは確かですね。だからこそ他の生き物と違って愚かだといえるのかもしれないんだけど……。つまり、ひとはなぜ生きるのかという命題を抱えれば、当然自殺ということを考えざるをえないと思うんです。最近は「ひとはパンのみにて生きるにあらず」なんてことを考えないか──。死についてどう思うかなんてことは、友だちとはあまり語らないでしょ? ★ そうですね。 柳[#「柳」はゴシック体] 私なんかよりもっと上の年齢のひとたちは、なぜひとは生きるか、なぜひとは死ぬのかなんて、友だち同士で語り合うのがごく普通だったんですよね。どうしてなくなっちゃったんだろう。それが悪いとはいわないけれども、たとえばファッションの話とか、いい化粧品が出たとか、どこそこのレストランは五つ星だとかいう話ばかりしているのは問題だと思うんです。こんなこというと、おばさんみたいだけど、さ。 ★ 私は隣に自殺しそうな子がいましたから──。 柳[#「柳」はゴシック体] それを知って、どうしました? ★ やっぱり止めましたね。 柳[#「柳」はゴシック体] なんで止めるの? ★ なんでかなあ……。 柳[#「柳」はゴシック体] たとえば、私がこのあと、「あなたとも話をしたし、おいしいお酒も飲んだし、最後のタバコも一服喫ったし、千駄ヶ谷の駅が近いから、私はあそこに飛び込みます。さようなら」といったら? ★ やっぱり止めますね。 柳[#「柳」はゴシック体] なんていって止めます? 単に「死なないで」というんじゃなくて、説得力ある言葉で私を止めてほしいな(笑)。 ★ 私は、相手のことは考えないで、「私がイヤだから死なないで」という方向で攻めていきます。 柳[#「柳」はゴシック体] それが止める言葉にならないときもあるんじゃないですか? 「あなたがイヤだろうが関係ない。私は生きるのがとにかくイヤなんだ」って……。 ★ だったらしょうがないですね。本当のところでは相手の気持ちにはなれないし。 柳[#「柳」はゴシック体] 私、昔、友だちに自殺をするんじゃないかと疑われて、ずっと付き添われたことがあるんですよ。朝、学校のある駅で降りられないで、電車の中で泣いていたんです……。ふと気がつくとその子が隣に立っていて、あんまり話したことがない女の子だったんだけれども、「とにかくあなたの行くところまで行く。あなたが死ぬんだったら、私も一緒に死ぬから」というのね。「お願い、迷惑だからやめて。一人でいたいから」といったんです。終点まで行って、知らない街をやみくもに歩いたんだけど、延々とついてきた。   話すことや心配して付きまとうことというのは、止めることにはなるんですね。本人だってどこかで止めてほしいと思ってる。青少年の自殺は終電がなくなる時間と明け方に多いらしいんです。誰かに止めてほしい、誰かに気づいてほしいと思いながら街を歩きまわって、結局誰も止めてくれなくて、断崖や海辺に行き、追いつめられて死んでしまうということが多いんです。   その場に誰かいるかいないかというのは大きいんだけれども、それとは逆に誰かいたから死んじゃうというケースもあるんです。それは、友だち三、四人でシンナーを吸ってラリって、「生きててもしょうがないや」ということになって、一人では絶対に死ななかっただろうに、その場にひとがいたのがはずみになり、一線を踏み越えてしまうということもある……。だから何ともいえないけれど、どっちにしろ止めてほしいことは事実なんですね。   私が好きになった男のひとは、私がドツボにはまって暗いときに、「カツ丼食べよう」とか「あそこのコロッケはおいしいよ」と食べ物の話をはじめたんです。私にとって、それは涙が出るほどの止め言葉だった。「死ぬな」とは一言もいわなかったけれども、「あそこのラーメン屋にはまだ行ったことがないだろ」と延々とつづく食べ物の話は、暖かくて哀しかった。 [#ここで字下げ終わり] 死よりも遠くへ [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 印象に残った死ってありますか? かつてはいろいろな自殺があったけれど、最近はあまり作家も死ななくなっちゃったし……。   私はなぜか好きになるひとが全共闘世代だったりするんだけれども、彼らの好きなところは単刀直入なところですね。いきなり「あんたはなぜ生きてるの」なんて質問を無神経かもしれないけれどもしてきて、そこからつきあいがはじまるみたいなところが、私は好きなんです。肌にあう。   私の好きな小説にル・クレジオの『海を見たことがなかった少年』というのがあるんです。孤児の少年が出てくるんですが、その少年ははじめて会ったひとに必ず「ぼくを養子にしてくれますか」と訊くんです。生い立ちなど何も説明しないうちに。ほとんどの相手は、戸惑ったり、冗談かと思ったり、「そんなのできるわけないじゃない」といったりする。それでも、とにかく「ぼくを養子にしてくれますか」という質問をするんです。私が好きなのはそんなふうなつきあい方なんです。つまり、有無をいわせず決定的な関係を直截《ちよくせつ》につきつめるところからはじめる──。だから私は古いといわれたりするんだけれども。   私は中原中也が好きで、彼の詩に「なにゆゑにこゝろかくは羞《は》ぢらふ」というのがあるんですけど、「なにゆゑに」というのを訊きたい。ずるずる引用してしまいますが、テネシー・ウイリアムズは、「書きたいことは一つだ。ひとはなぜ生きて、なぜ死ぬのかという、それしか書いていない」といっているんだけれども、私もそうなんですね。せっかく会ったんだから、なぜ生きているのか、なぜ死なないのかということを、刺しちがえてもいいから訊いてみたいと思うんです。 ───ずっと、生の実感がほしいときに死を考えてきたということはあると思うんですけれども、今の若い世代でもそれは同じなんだろうか。それとも生の実感なんて全然信じていないで、「そんなものないよ。そんなものあったって何ともならない」と思っているのか、それとも生を実感したいとは思っていて、そういうときは死じゃなくてほかに方法があると思っているのか──。その辺のお話を聞かせていただきたいんですけれども。 柳[#「柳」はゴシック体] どうだろう。芥川龍之介のように漠然と(笑)。 ◆ 漠然とした不安じゃ、死ねませんね。 柳[#「柳」はゴシック体] 当人にとっては、「漠然とした不安」というのは拷問《ごうもん》に近かったのかもしれない……。 ◆ そうですね。それはわからないですけれども。 柳[#「柳」はゴシック体] じゃ、「生きてる実感」はなくてもいいのかな。どういうときに「これが生きてる実感だ」と思う? ◆ アドレナリンが放出されているな、と感じられるとき(笑)。何かを一生懸命やっているとき。 柳[#「柳」はゴシック体] たとえばバスケットボールをやってて、ドリブルしているときとか? ◆ 文化祭とかで、すごい極限状態になって、やらなければいけないことがいっぱいあって夜も眠れなかったりとか。 柳[#「柳」はゴシック体] 徹夜するとか? ◆ そういうときに、大変だけれども充実しているという感じはあった。 柳[#「柳」はゴシック体] でも大変な場所に身を置くというのは、死に近いかもしれないですね。 ◆ 追い立てられる快感というか……。 柳[#「柳」はゴシック体] そう、そのときの快感ね。だから、私は遊園地の絶叫マシンが好きなんです。あれは死の擬似《ぎじ》体験なんですよね。気持ち悪いじゃないですか。ほとんど吐きそうになるし、実際吐いたりもするんだけれど(笑)、あの「落ちる」というのは、死なないという保証の下に飛び降り自殺をちょっと経験してみようじゃないか、というものなんです。ときどき機械が壊れて死んだりする場合もあるらしいんだけど、最近はないか。   眠らないというのも極限に近くて、眠らないのがつづくとひとは狂ったりするんだけれども、受験勉強でも文化祭でもいいんですが、そこまで追いつめられるということは、死に近いんじゃないかなと思います。それは、ひとが生まれて、八十だか何だか知らないけれど、とにかく寿命がある限り、変わらないんじゃないかなという気がします。つまり死ぬことだけは絶対的なんだから、死を怖れたり、遠ざけて無視したりしても──怖いもの見たさというのは誰にでもあるんですよね。だからここでいきなり断言するんだけれど、ひとは誰でも、意識下にしろ自殺したいと思っているんです。 ◆ 針とかを手に刺したときに、生を感じますね。 柳[#「柳」はゴシック体] 針を、手に刺す? ◆ 縫物をしてて。自分で刺してみたいなという気もするけれども。 柳[#「柳」はゴシック体] だんだん過激になってきますね(笑)。 ◆ カミソリで手首を切れなくて、安全ピンをつきたてて耳に穴をあけたことがある。気持ちよかったですよ。 柳[#「柳」はゴシック体] 耳に安全ピンで穴あけたの? ピアス? ◆ いえ、そうじゃなくて。一回だけでやめちゃったんで、穴はあいていないんですけど。 柳[#「柳」はゴシック体] 私、ピアスの穴をあけてるんだけれど、母に強引にあけられたんです。中学のとき、ピアスをしなければかっこ悪いと押さえられて、氷で冷やされてブスッと──、痛かった。 ★「痛い」のほかに、何か異物が体の中に入ってくるのが……。 柳[#「柳」はゴシック体] 気持ちいい。それは、セックスにも通じることです(笑)。 ◆ そうですか(笑)。痛さと一緒に、もっと皮膚の中に入り込んでくるというか……。 柳[#「柳」はゴシック体] それはエロティックですよ、すごく。 ◆ そうですか。 柳[#「柳」はゴシック体] 針かペニスかといっちゃうと、身もふたもないですけれど(笑)。 ◆ 松浦理英子さんの『ナチュラル・ウーマン』だったか『乾く夏』だったか、手を切り刻む女のひとの話があったじゃないですか。あれを読んだあとで、針を手に刺したときに、こういう感じなのかというのがわかって、「なるほど、なるほど」と思ったことがあります。 柳[#「柳」はゴシック体] すごくそれと似た感じで、強引かもしれないけれども、私はセックスをしているときに死を感じる。異物──それは針かナイフかわからないけれども──が入ってきて、最初は血が出たりして、傷つけられるところからはじまってエクスタシーへ辿《たど》り着く。エクスタシーというのはこれ以上先がないところまで行くということで、ジェットコースターと似ている。ジェットコースターと似ているから何度も乗るんだといったら男のひとは怒るかもしれないけれど(笑)、私にとっては、あれは死に近いんですよ。呼吸ができなくなってしまう。 [#ここで字下げ終わり] マニュアルの時代 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 生きているという実感ということについてはどう思う? ★ 私は普通に、鼓動を感じるときとか、そういうとき。たとえば歩いていて、ちゃんと右足と左足が順番に出るなとか、そういう普通の身体的なものが大きいです。食べているときとか……。 柳[#「柳」はゴシック体] それは、すごく醒《さ》めていて、つらいんじゃないかな(笑)。そこに生きる実感をもつというのは、けっこう追いつめられているんじゃないかと思うんだけど……。 ★ 私、食べるのがすごく嫌いなんですよ。 柳[#「柳」はゴシック体] 私も嫌い。 ★ だから、食べていると、逆に「あぁ、生きているんだな」と。 ───たとえば、私の時代は、みんなが笑って盛りあがっていて、盛りあがっていなければいけない、それが当たり前というか、実感としてそういうのがなければいけないと思っていて、それがないと焦ったりしたわけだけれども、そういう感覚はないのかな。 ★ 私はないですね。そんな盛りあがりなんて、やっぱり嘘っぽいなと思っちゃうから。   言葉でいうとあれですけれども、普通に笑うし、普通のおしゃべりで盛りあがったりもできるんですけど、一人になると……。 柳[#「柳」はゴシック体] 心臓の鼓動であり、右足左足と、歩いていることであり……。 ◆ 盛りあがりなんて嘘だという一方で、バンドとかに異常にみんな盛りあがるじゃない。 ★ 何か自分でもほしいんでしょうね。でも私は絶対にVサインなんかはしないほうですから。 柳[#「柳」はゴシック体] でも、好きな音楽を聴いてワッと思う感情とかはあるわけでしょ? ★ そうですね。 柳[#「柳」はゴシック体] 砂漠のイメージですね。サラサラしていて、何の隆起《りゆうき》もなくて、それが今の時代だといっちゃうと私もほんとの年寄になってしまうけれど(笑)、何かがサラサラしていて、オアシスもないし、山もないぞというところで、義務として右左と足を動かすしかないというのは、つらいのではないかなと思いますね。   この前『アンアン』の編集部のひとと話したら、最近、「あれだけ完売を誇っていたファッション特集、化粧特集、髪型特集が売れない」と嘆いてた。メンタルなテーマ、たとえば友だちがほしいとか、愛情とは何だ、恋人とは何だというのが売れるんですって。もう一歩で哲学でしょう。そのうち『アンアン』で、「なぜ生きるのか」という特集をやるんじゃないかなと思っているんです(笑)。 ◆ 生き方のマニュアルが売れちゃうんですか。 柳[#「柳」はゴシック体] マニュアルだというのが哀しいところなんだけれども。 ◆ ひとにいえない分、つらいんじゃないかな。 柳[#「柳」はゴシック体] それはつらいでしょうね。とにかくこの時代では、「なぜ生きてるんだ、ばかやろう!」なんて喧嘩をふっかけるみたいなことはできないじゃないですか。よくいわれてるように、とりあえず、コム・デ・ギャルソンのシャツがとか、ナイスクラップのワンピースがとか、いわゆるブランドに関するうんちくを語るしかないというのは、本当のところつらいんじゃないかと思うんです。ブルセラをやるのか、モスバーガーでバイトをするのか知りませんが、とにかくバイトをすれば高校生だって結構な収入が得られる。にもかかわらず、『アンアン』で「友だちとは何か」という特集が売れちゃうというのは、やっぱりつらいからなんじゃないかなと思いますね。 ★ でも私の場合、雑誌とかだったら、やっぱりファッション特集を買いますね。だって、そんなメンタルなテーマは雑誌に頼ってもしょうがないじゃないかと思っちゃうから。 ───じゃ、どういうところをよすがにしようと思っているんですか。 ★ やっぱり自分で解決するしかないと思ってます。 柳[#「柳」はゴシック体] りっぱ!(笑) ───さっき生きる義務というふうにいってたけど、生きる義務といったときに、死ぬ義務もあるんじゃないかと思うんですが、そのあたりはどうかな。 ◆ 死ぬことを宿命づけられている人って、いるんじゃないですか。間引きされる子って、死を負わされているんですよね。 ───そういうことではなくて、たとえば、自分が存在しているということで空気を汚すわけだし、鶏を殺してフライドチキンも食べるわけだし、一言しゃべることで他者に及ぼす何かがあるわけでしょう。それこそ、精神的にも物質的にも。  私がいること自体がだめなんじゃないか、という感覚はありますか。 ★ ないことはないですけど……。 柳[#「柳」はゴシック体] 太宰でいえば、生まれてきてすみません──。 ★ さっきいった自殺したがっている女の子は、他人に影響を与えやすいというか、まず人目をひきやすいんですよ。女子校の中で、すごく男の子っぽい、男にも女にも見えるような顔をした子で。 柳[#「柳」はゴシック体] 私、そういうタイプ好き。好きでたまらない(笑)。 ★ 言動の一つ一つが他人に大きく作用しちゃう子で、その子はそれもあって「死にたい」といったと思うんです。 柳[#「柳」はゴシック体] ひとに影響を与えるから? ★ ええ。 柳[#「柳」はゴシック体] その場合は、その子もナルシシズムに陥《おちい》っているんじゃないかな。 ★ そうかもしれない。 柳[#「柳」はゴシック体] でも、死ぬひとというのは多かれ少なかれ、自己愛に陥っていると思いますけど。   さっき、自意識過剰といったけれども、どこかで見られているんじゃないかと若いころは気にする。でも本当は見られてないし、私一人消えたって別に誰も困らないし、私一人いたってじゃまでさえない。じゃまでも必要でもないというのが、虚《むな》しいというか……。 ◆ むしろじゃまにしてほしい。シカトされたくない。 柳[#「柳」はゴシック体] そういうことはありますよね。恋愛だってそうでしょう? ★ かまってほしい。 柳[#「柳」はゴシック体]「じゃまだ。おまえなんか目障りだ」っていわれると、さらに目障りなことをしてしまう。物を壊すとか、自分を壊すとか──。とにかく他人に迷惑をかけているから、地球環境が壊れるから、死ぬという考え方はよくないと思いますけどね。 [#ここで字下げ終わり] どんな死に方をしたいか [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 柳[#「柳」はゴシック体] 死に方ぐらい自分で考えてほしいと思いますね。大量生産の既製品を着て、ケンタッキーでも、鶏を殺すことからやらないで食べるわけでしょう。どこかで鶏の首を絞めているだろうと思いもせず。牛肉も、牛を殺すことからやってない。その現場から遠く離れて、できたものをいわばマニュアルで食べてる。そういう状況だから、死ぬことぐらい自分で頑張ってくれないかなと思うんですけどね。これが『完全自殺マニュアル』に対する、私の唯一の批判です。   想像すると、どういう死がベストですか。私はよく自分の葬式を思い浮かべるんですが、その場に参加できないのが悔しい(笑)。どういう死で葬式を迎えたいですか。 ※[#スペード黒、unicode2660] 死体も何も誰にも見られないか、あるいはみんなが見るか、どっちか。 柳[#「柳」はゴシック体] みんなが見る死? おもしろい。パンクの姿勢ですね(笑)。それか、誰にも見られない死ですか──。あなたは自殺の予備軍だと思いますよ(笑)。 ※[#スペード黒、unicode2660]「あれ? いなくなってるけど」という、猫が縁側の下でじつは……みたいな。 ◆ みんなに見られる死というのは、どういうの? 柳[#「柳」はゴシック体] どこかでとても愛されたいひとなんじゃないですか(笑)。 ※[#スペード黒、unicode2660] それはあるかもしれない──。   自分は長女だから、どっちかというと愛されるよりは、しっかりしなきゃという立場だったから。 柳[#「柳」はゴシック体] 私も長女ですよ。 ※[#スペード黒、unicode2660] かわいがられるのが下手というのが、長女の特徴だと思うんです。 柳[#「柳」はゴシック体] そうなんです。イエス・キリストなんか、みんなに見られて死んだってことになるんでしょうね。   あなたは、どういう死に方をして、どういう葬式だったらいいと思う? ◆ あまり考えたことがないです。自殺するなら雪山だ、とかイメージとしては思いますけど。服を脱いで……。 柳[#「柳」はゴシック体] 全裸になって? 過激! ◆ 雪山で死ぬと、温度感覚が狂ってきて、暑くなってきて服を全部脱いで死ぬというんです。取り乱したのは発見されたときにちょっとイヤだから、最初から脱いでおいたほうがいいかな、と。睡眠薬も飲んで。そうすれば美しく死ねるかなと思うんです。でも、やりませんけど……。 柳[#「柳」はゴシック体] やるかもしれないと、いって下さい(笑)。   私は十九のときにナイフを握りしめて泣いたことがあった……。誰も殺せないし自分も殺せない、と……。十九って、つらいときですよね。二十九になったら、もっとつらいんじゃないかと思いますけど(笑)。 ◆ 直截《ちよくせつ》的ですけれども、死ねるまでは生きていなければいけないと、いつも思っているんです。死ねないから生きていると思っている。なんで死ねないのかというのは、いつも考えていて、よくわからないんだけど、死ぬというのは選択肢の一つで、死ねるのだったらそうすればいいんだけれども、やっぱり死ねないんです。 柳[#「柳」はゴシック体]『抵抗詩集』という本があるんです。第二次大戦でドイツに占領されたレジスタンスで、ナチに捕まって拷問にあったひとたちが、牢獄の壁に書き殴ったりした言葉を編んだ詩集なんです。その中にある「ぼくはきょう拷問を受けた。きょうは仲間の名前は売らなかった。けれどもし、あした同じ拷問を受けたらわからない」という詩がとても好きなんです。それは無名のひとの言葉なんだけれど、もしあした、ものすごくつらい目にあったらわからないけれども、とにかく今はまだ死ぬ時期ではない、ということなんです。 ◆ 今のことしかわからないですよ。 柳[#「柳」はゴシック体] わからないですよ。それは本当にそう、この詩がわからないひとはこういうんです。  「あなたはまだ若い。未来がいっぱいあるじゃないか。何をしてもいいし、何でもできる年じゃない」って。「ばかやろう」と思うのね。未来を考えた場合、死ぬことしか決定していないんですよ。年老いて死のうが飛行機事故で死のうが、みんな平等に「死ぬ」ということだけが決まっているんです。『抵抗詩集』は未来には死しかないけれど、今を生きる、ということなのに、今は死が間近だけれど、未来の生を信じようなんていうのは、本当にたわけたことを、と思う。   かつては、戦争があったり、食べ物がなかったり、爆弾が落ちたり、拷問に近い状況に置かれていて精神的に追いつめられたりしていたけれども、今は何もないからマニュアル、ということになってしまう。   私は自分の中で、こういう世の中だから、わざと追いつめて生きることを考える。でもそれは、私だけが特殊じゃなくて、本当はみんな同じじゃないかなという気がするんですね。義務だと思っているにしろ何にしろ、今はとにかく生きているけれども、あした拷問があったらわからないというのは、同じだという気がするんです。拷問を、失恋やいじめに置き替えればいい。 [#ここで字下げ終わり] この世に何か期待する? [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] ───ドラマというのを信じる? だいたいの世代は、一度は自分の人生にドラマが訪れると思っているわけね。自分自身の……。すごく劇的で、本当にそのときは生死をかけてそっちを選ばなければならないということを待っているみたいな感覚があるんだけれども、今の時代では人はそういうのはもう訪れないと思っているのかしら。 ★ そうだと思います。 柳[#「柳」はゴシック体] それは私も訪れないと思ってますよ。学生運動は起こらないし、戦争も起こらないだろうというのは……。だから自分で小さな戦争でも起こそうと思うわけ。自分で起こすしかないと思う。 ───柳さんは自分で起こすしかないと思うわけだけれども、みなさんは起こす必要を感じるのかな。それとも人生にドラマなんて必要ないと思ってる? 柳[#「柳」はゴシック体] このまま終わったら、ちょっと虚しいなというのはあるでしょう? ★ ええ。でも、そう強くはないですね。 柳[#「柳」はゴシック体] あした原爆が落とされるとしても、それなりに納得する? ★ まあ、しょうがないかな、と。 柳[#「柳」はゴシック体] 私は、梶井基次郎が好きなんだけれど、檸檬《レモン》を本の上に置いて、爆発しなかったら、それを握り潰して爆発させてやろう、投げつけてやるぞ、という感じがあるんです。私は待たない。だから、私はベケットの『ゴドーを待ちながら』が大嫌い(笑)。待つことなんかない。誰でもいいじゃない。そこらの誰かがやってきて、「あ、きた、きた」ということでいいじゃない。なんでゴドーを待たなければいけないのか。 ★ 全然待っていないとはいい切れませんけれども、どちらが自分が生きているということに近いかというと、積極的に何かするというより、やっぱり待っているのかな。 ◆ 要するに期待してないということなんだ。 ★ そうです。ノストラダムスとかも、別に……。 ◆ 世紀末も何もないんだ。 柳[#「柳」はゴシック体] 見えちゃってますもんね。 ★ そうですよ。 柳[#「柳」はゴシック体] たとえば、お父さんは全共闘世代かもしれないけれど、なれの果てを見てしまっているものね。父親の世代が行動したあげく、どうなってしまったのかが見えちゃったからね。 ★ そうですね、テレビなんかでよくやるじゃないですか。全共闘の何とかというのを。普通のおじさんになっていますよね、だいたい。自動車の整備士をやっていたり。 柳[#「柳」はゴシック体] それは秋田明大だったりするわけですね(笑)。 ★ そんなに時代というものは大きく動きそうにないですから、時代には期待しない。地球は壊れるかもしれないけれども……。 柳[#「柳」はゴシック体] 自分にはどうですか。期待します? ★ …………。 柳[#「柳」はゴシック体] 私は、檸檬を本の上なんかに置かないで、「自分が檸檬だ」といいたい。 ★ でも、「書を捨てよ、街に出よう」なんてスローガンで行動するなんてことはやっぱりイヤかもしれません。 ※[#スペード黒、unicode2660] ◆さんも、そう? ◆ 私は待ってます。 柳[#「柳」はゴシック体] それは恋人かもしれないし、友だちかもしれないし、もっとはかない何かかもしれないけれども、何となく待ってる? ◆ はい。 柳[#「柳」はゴシック体] ドラマの典型的なパターンは恋愛で、それはテレビドラマの『高校教師』みたいにドロドロになってゆくものかもしれないけれど、ドロドロになることって、望みます? ★ はい。 ◆ 私はあんまり……。希望としてはありますけれども、自分ではできない。 柳[#「柳」はゴシック体] 自分はできないと思っていても、はまっちゃうときってありますよね。 ★ ありますね。走ることはできないけど巻き込まれたいみたいな。 ───今死んだらじゅうぶん? 自分が死ぬのにじゅうぶん年とっていると思える? 今自分が死ぬということは早過ぎる? ★ 早いとは思うけど、死んだとしても、そんなに問題はないというか……。 ◆ ただ、自分から死を選んだりはしませんよね。でも、やりたいことがあるわけじゃないんです。 柳[#「柳」はゴシック体] 私は、生きるということも冒険だと思うのだけれど、死ぬということも、すごい冒険なんじゃないかなと思って、ワクワクしてるんです。どんな感じだか全くわからないじゃないですか。死んだひとから聞いたこともないし。だから、生きるということと同じくらい、死ぬということにドキドキ、ワクワクする。遊園地と同じ、まだ乗ったことがない絶叫マシンに乗ってみるという感じかな。 [#ここで字下げ終わり] [#改ページ] [#小見出し]  柳美里への八つの質問 [#ここから2字下げ] 自分は死なないが他人は殺す、といういわば死を回避《かいひ》する時代が八〇年代だったのではないでしょうか。つまり八〇年代は死を容認しなかった時代かと思いますが、柳さんにとってそれは息苦しい時代だったのでは? [#ここで字下げ終わり]  私は七〇年代の「浅間山荘事件」で、政治的、思想的な死は終焉《しゆうえん》したのではないかと考えています。八〇年代に入り、高齢化社会を視野に入れてか、にわかに健康ブームが蔓延《まんえん》して、私たちの時代は死を隠蔽《いんぺい》することに成功したのです。  国外ではエイズが、ひとびとを死に直面させることを強いましたが、日本ではエイズを外人《ヽヽ》扱いにして無視することに努めたんです。ただいじめによる自殺が社会的事件として耳目を集めただけでした。  しかし八〇年代においても隠蔽された死を白日のもとに曝《さら》そうとしたのは、やはり自殺でした。  政治家・中川一郎、俳優・沖雅也、アイドル・岡田有希子、作家・田宮虎彦。彼らの自殺は私たちに少なからぬ衝撃を与えました。 「ねえ、知ってる、岡田有希子が飛び降り自殺したんだって」  処女作『水の中の友へ』という芝居の稽古場で役者たちが騒いでいました。死を悼《いた》むというには余りにも奇妙な明るさが、私を当惑させたことを今でも忘れられません。  しかしこれらの死はすべてスキャンダラスな個人的な死として棺に納められてしまいました。  八〇年代、ひとは悲劇さえも喜劇として受け入れようとしたのではなかったろうかと考えています。昭和天皇の死で、喜劇の時代が終わるのではないかという、私の予測はものの見事にはずれ、ひとびとの大はしゃぎは九〇年代まで持続したのです。  私は十四歳の自殺未遂のあと、宙ぶらりんのまま、塞《ふさ》ぎ込んで八〇年代を生きたように思います。 [#この行2字下げ]そういう中で寺山修司の死(一九八三年)は、柳さんにとってどういうものであったのでしょうか?  私は一九八三年、寺山修司が死んだ年に東京キッドブラザースの研究生となり、入った直後に劇団の演出家、東由多加氏から寺山修司の訃報《ふほう》を知らされました。彼は〈天井《てんじよう》桟敷《さじき》〉の創立メンバーだったのです。  葬儀の日はレッスンが中止になりました。ロッカールームでの会話を聞くと、ほとんどの研究生が彼の芝居も観ていないし、著作も読んでいないようで、私はちょっとびっくりしました。私の世代では一部のカルト的なファンを除いて、ヒーローではなかったんですよね。私にしても、短歌とフォーレディースと銘打たれた新書館から出版された何冊かの本を読んでいるに過ぎませんでしたけどね。  新聞記事や追悼文を読み、単なる病死というより、やはり自殺に限りなく近い死だなと思いました。その後一年以上、夢の中に何度も寺山修司が現われて、「じつは僕は死んでいないんだ。皆には死んだことにして隠遁《いんとん》生活を送ることにしたんだ。何年か後に生き返ったことにするつもりだけど」と語りかけられ、一度は彼の隠れ家にまで案内される夢をみたほどです。寺山さんは、医者に芝居と映画から離れれば何年かは延命できると告げられながらも、ついに現場を捨てることができなかったそうですが、そのことからの連想で夢をみたんでしょうね。  そのときまだ書きはじめていなかったこともあって、私は死に値するような芸術活動があるという実感は持てなかったんです。死は何かと取り換えるものではなく、死それ自体で完結すべきものだと考えていたのだと思います。  追悼文の中で印象深かったのは、大学時代からの友人である山田太一氏の、寺山さんが死の直前に、はじめて山田氏の家を訪問したときのエピソードでした。寺山さんは死期が近いことを仄《ほの》めかしたあと、山田氏の本棚に並んだ本をゆっくりと手でなぞっていったそうです。山田氏本人よりも、彼が読んだ本に別れを告げたというイメージ、本を指で触ったというところがいかにも寺山修司だと思えてなりません。  担当医によれば、彼は死に、異常なほどの拒否反応を示したと聞いています。しかし前述したように、演劇と映画をやめさえすれば死を免れることを医者から告げられていた上で、演劇と映画の現場から離れなかったわけですから、死を受容することと拒否することの間で、激しく揺れていたのだろうな、と思います。  もし寺山修司に家庭やそれ以外に執着する何かがあれば、少なくともあの若さで死ぬことはなかったのではないでしょうか。職業は寺山修司、と嘯《うそぶ》いた彼にとって職業以外のものは何もなかったんですよね。だから彼の死を名づけるならば、「殉職」ということになるのかな。死後に起こった寺山ブームは、若者たちがこの「殉職」の|におい《ヽヽヽ》を嗅《か》ぎ取ったからではないかと考えています。  そして今後は、文学者(芸術家)の中から殉職者は現われないかもしれない──。  寺山修司は言葉を行為として捉えた。そういう意味では三島由紀夫と共通したものがあるような気がします。寺山さんは言葉を肉体化し、ビジュアル化しなければ気がすまない人でした。そして行為不能となったのちに、言葉だけがこの世に残されたのです。寺山修司と擦《す》れ違うように世の中に出た私が、彼の死後何年か経って、寺山さんの幼年時代からを青森で追跡するというテレビドキュメンタリーの進行役を担当したり、寺山さんについて川本三郎氏と討論したり、文庫本の解説を依頼されたりしたのはどうしてでしょうね。どこか寺山さんとの共通点があるのかな。おそらく依頼者は私の中に寺山的なるものを見出したからなんでしょうけれど、それが何なのかいまだにわかりません。もしあるとすれば、三島由紀夫の、 「言葉と肉体の絶対の二元性を脱却しようとすれば、人は肉体の死を志すほかはないのではなかろうか」  という言葉に表わされた資質のようなものかもしれません。 [#この行2字下げ]『完全自殺マニュアル』がベストセラーとなりました。自殺を一つのアイデンティティとする柳さんの考え方と、どこかで共通するところがあるかもしれませんが、どう思いますか? 『完全自殺マニュアル』は九〇年代の奇書として後世に残るかもしれませんね。その対極にあるのは、そのあと出版された「野菜スープ」に関する本でしょう。この二つの本の差異は、『完全自殺マニュアル』の読者は若者たちであり、「野菜スープ」の読者の多くは老人たちであったということです。  若者たちの部屋にはよほどの信仰者でない限り仏壇は置いていないだろうし、死を喚起《かんき》させるものは一切置かれていないでしょう。けれど私は『完全自殺マニュアル』が彼らの部屋の片隅に置かれていることを想像すると、なぜかほっとします。もし訪ねていった若者の部屋に「野菜スープ」の本があったとしたら──。そう考えれば私のいわんとすることはわかっていただけると思います。 『完全自殺マニュアル』はハウツーものではありません。「思想の科学」とでもいうべきでしょうか──、哲学書に近い読まれ方をしたことが、「野菜スープ」と根本的に異なるところだと思いますよ。 『完全自殺マニュアル』を読むと、市販されている薬品の中にも思いがけないほど多くの死を招くものがあることに驚かされますが、延命のために次々と開発される薬品が、じつは自殺に使用可能だということは、いかにもこの時代の危うさを物語っていて、皮肉ですよね。  アメリカの医学書によれば、既にひとを二百年、三百年程度生存させることは可能だそうです。一説によれば千年でも延命させることができるそうです。実際には、この技術は人間には施されていないでしょうけれど、もし理論的にしろ事実だとすれば、私は苦痛なく死ぬことができる薬品を市販することは絶対に必要だろうと思います。不老長寿を夢みることが不遜《ふそん》とはいえないならば、自殺もまた認知されてしかるべきではないかということです。私は死をアイデンティティと考えているというより、自分とは何かと考察するとき、死はその入口であり、また出口であるといいたいのです。  最近テレビで、安楽死が合法化されたオランダで、一人の年老いた商人が、医師の手によって安楽死するまでのドキュメンタリーを観たんですが、ちょっと衝撃的でした。安楽死は自殺と通底《つうてい》しているわけで、日本でも安楽死が合法化されることを期待しています。 [#この行2字下げ]「九〇年代の死」があるとしたら、自殺以外何が考えられるでしょうか? 「九〇年代の死」の最大のものは、やはりエイズでしょうね。ある有名なイラストレーターが死んだとき、友人たちが、彼の死はエイズによるものかどうかと議論している場に居合わせたことがあるんです。イラストレーターの病名は公表されてはいたけれど、多くの友だちの間でエイズではないかという疑いが囁《ささや》かれていたそうです。  コラムニストのS氏が、 「あれくらいアメリカでも評価されてたんだぜ。時代の最先端でクリエイトしてたんだ。エイズじゃなきゃ、いったい何による死だっていうのさ」  作家のN氏が頷《うなず》いて 「脳溢血《のういつけつ》なんかじゃ似つかわしくないものな」  彼らは本当のことがどうであれ、エイズによる死と思い込むことで、イラストレーターの死を悼《いた》もうとしているように感じました。  私の周囲を見まわしても、エイズは決して身近なものとして意識されていないようです。けれど「九〇年代の死」はエイズを抜きにして考えることはできないだろうと思います。  エイズが九〇年代的なのは、セックスによって感染するという点でしょう(もちろん輸血によるものは無関係です)。性が生殖から切り離され、しかも性が商品化を超え、完全に解放されたかのような二十世紀の終わりに、セックスと引き換えにエイズに感染するかもしれないという恐怖を生み出したことに、神の意志すら感じてしまいます。性行為によるエイズ感染を怖れる者にとっては、「汝《なんじ》、姦淫《かんいん》するなかれ」という聖書の一節が重くのしかかるだろうことは想像に難《かた》くありません。二十世紀末に、聖書の一節がまるで広告会社のコピーのように受け止められるとは、誰が考えたでしょうか。  ひとが生殖と切り離されて性の快楽に狂奔《きようほん》しなければ、エイズはこれほどまでには蔓延しなかったでしょうね。ホモセクシャルの方々も含みますけれど。しかしだからといって、エイズが人類に性のモラルを喚起させるために出現したとは思えませんよね。性行為によるエイズ感染は単に快楽には死がつきものだという事実を確認させたに過ぎないような気がします。生と死はぴったりと寄り添った友人同士だということを改めて知らしめたと思うんですね。快楽はやばいんだってこと。死を隠蔽しようとする時代感情をエイズが逆撫《さかな》でしたことだけは確かでしょう。 [#この行2字下げ]鈴木いづみと阿部薫の死などについてはどう思っていらっしゃるのでしょうか?  鈴木いづみと阿部薫について、私はほとんど知らないんです。年上の友人たちが酒場で語るのを聞いたことがあるのと、稲葉真弓氏の『エンドレス・ワルツ』と、『鈴木いづみ 1949──1986』という本を読んだ程度です。  天才的サックス奏者である阿部薫は薬とアルコールで落命し、その八年後に、二人の間の子どものベッドの傍らで首吊り自殺をした鈴木いづみ──、二人の死はいかにも六〇年代から七〇年代的な死のように思えます。およそ八〇年代に似つかわしくないし、それどころか日本の風土にさえそぐわない、きわめて特異な死という印象を受けます。ニューヨークのロフト街での出来事といったイメージを拭い去ることができないんですよ、私には。さらに二人が出会ったときから結末が用意され、二人はそのプロットに従って忠実に生きて、死んだというような気さえします。  二人は多くのひとの目の前で、予知することが可能だった死のジェットコースターに乗り込み、ゆっくりと辷《すべ》り落ちていった。ただの一人も、時代も、彼らにブレーキをかけることができなかったのだろうか、と思います。そのことが鈴木いづみと同時代を生きた私に何かしら負い目のようなものを感じさせるんです。  鈴木いづみと阿部薫は、六〇年代後半から七〇年代までのラジカルなカウンターカルチャーを生きて、燃え尽きた。そして私は遅れてきたんです。私が苛立《いらだ》つのは、もし二十年早く生まれていれば、鈴木いづみのように生と死のレールを疾走していたかもしれないという思いを捨て去ることができないからかもしれません。 [#この行2字下げ]ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックス、それから『あしたのジョー』とか、〈燃え尽きた死〉というのがかつてありました。こういう破滅的な死をどう思いますか?  私のように遅れてきた人間にとって燃え尽きるというような特権的な死は決して許されないんです。燃え尽きるなどということは、「革命」という言葉を口にすることができる時代でなければありえないでしょう。「改革」などという言葉が飛び交うこの時代では、継続という力に縋《すが》るよりほかに術《すべ》はないと思う。  燃え尽きるためには何事かに絶対的な価値を見出さなければならないからです。すべてが相対化された時代に生まれた私たちに、特権的な死を望めるわけがないんです。  私たちの世代には、破滅することは許されていません。 [#ここから2字下げ] 山田かまちという少年は、九〇年代の高野悦子的存在なのでしょうか? 夭折ということについてはどう思っていらっしゃいますか? また尾崎豊の死についてはどうでしょうか? [#ここで字下げ終わり]  死後山田かまちが、私たちの前に忽然《こつぜん》と姿を現わしたのは、彼が遺した詩と絵画が優れていたからですよね。そして若いひとたちに強い関心をもたれたのは、何といっても彼がこの現実世界を生き抜くにはあまりにも不適格者だったということが大きいと思う。この世界を生きる適性を持っている人間は、純粋、繊細、真実、清廉《せいれん》などというものから遠く離れているという負い目を持っているからです。生きている自分は不純であるという、負の意識が、山田かまちへの憧憬《どうけい》にも似た関心を呼び起こしたんです。  高野悦子の場合は、全共闘世代の原点であった「私とは誰か、私を取り巻いている世界とは何か」という原理を自分たちは彼女ほどぎりぎりまで問いつめただろうかということが、団塊の世代の負い目に触れたんですね。しかし高野悦子に取り残されたひとびとは、彼女のようには「|できなかった《ヽヽヽヽヽヽ》」けれど、彼女は同志であって、高野悦子は自己の一部であったかのような意識を持てたんだろうと思います。でも山田かまちの死を取り巻く若者たちには、彼と共有するものは何もない。時代が二人の死の意味を大きく隔たらせてるんですよね。高野悦子の死は、全体の中の部分の死、つまり時代の死だった。でも、山田かまちの死はあくまで個人的な死にすぎない。  エレキギターによる感電死ということを受け入れたくないひとの間で、自殺したんだということが信じられているそうですが、山田かまちの死には夭折という冠をかぶせるしかないと思います。そしてもし彼が成人して成熟していたら、どのような絵を描いただろうかと問うことは意味がないわけで、若くして息を引き取ったその瞬間に完結した才能にこそ、夭折という冠は与えられるものだからです。  尾崎豊の死は、ドラッグが絡《から》んでいたという点では七〇年代の死をイメージさせますよね。ファンたちは、彼をジミ・ヘンドリックスから、ジャニス・ジョップリンのような教祖《カリスマ》の祭壇に祀《まつ》り、伝説化しようとしています。しかし私にとってはむしろエルヴィス・プレスリーの死を思い起こさせるんです。プレスリーの死は、肥満のためにありとあらゆる薬物を使用したことが原因のようですが、尾崎豊の場合は、年をとること、成熟することへの恐怖によるものではないかという気がしてならないんです。プレスリーだって子どものころの好物だったドーナツやジェリービーンズを食べることを止《や》められなかったそうですからね。二人とも老いることが許されなかったんです。  なぜ尾崎は、伝えられた女優との恋を成就させなかったんでしょうか。私は尾崎は不倫や離婚に対する嫌悪感があったのではないかと考えているんです。それらは大人《ヽヽ》の行為であり、「十七歳の地図」にはそんな行き先はないですからね。「十七歳の地図」の中で迷子になってしまった、という感じなのかな。 [#この行2字下げ]いま、柳さんが思う「同時代の象徴的な死」とは何でしょうか?  もはや私たちにとって同時代の象徴的な死はないだろうと思います。象徴となりうるには、共有する政治的行動なり、時代感情なりが必要ですが、私たちを象徴しうるような文化がなければ、その死もありようがないのです。政治的な死、宗教的な死、ドラッグによる死というような──。  美空ひばりや石原裕次郎のような有名スターの死によって、自分の青春が終わってしまったなどという感慨さえ、私たちは抱くことはないと思います。私たちはケネディではなくクリントンの時代を、長嶋茂雄ではなくイチローの時代を生きているんです。  象徴的な死とは、吉本隆明氏の言葉を借りれば、「芥川が死んだとき、大正の時代精神というものはそのとき死んだというふうにもいえるほど、象徴的な事件だったとおもいます」ということなのです。  私たちの時代では誰かの死によって時代精神が死ぬようなことはないと思います。  これからの死は、すべて個人的な死だろうと思います。孤独な死です。 [#この行2字下げ]*協力:神奈川県立川崎北高等学校 上田吉明校長 横浜芸術センター 庄司真吾 レッスンに参加してくれた、M・I、T・K、A・F、M・I、T・O、K・T、のみなさん(敬称略) [#改ページ] [#小見出し]  死を夢みたあとに  この「自殺」の講義をしたのは一九九三年の初夏──、今年ももう葉桜の季節だから、二年前のことだ。当初はその年の秋に出版する予定だったのだが、諸事情で遅くなってしまった。今読みかえしてみると、その年に起こった事件を話題にしている箇所が多く、出版時期を逸したという感は否めない。  この二年の間、たくさんの事件が起きた。  特に今年に入ってからは平成の歴史に刻まれる出来事が次々に起こっている。  五千人あまりの死者を出した阪神大震災への恐怖がおさまらないうちに、オウム真理教による(まだ真相は解明されていないが)拉致《らち》、サリン、銃撃という事件が起きた。  大地震に遭ったひとびとは早朝眠っているか、眼が醒めたかのときに──、サリンを吸ったひとびとは通勤の途で──、なぜ、なんのために自分の命が奪われるのか全くわからないうちに死亡した。  病死や事故死というような、自己の責任というか、等身大の死ではなく、ある日突然、理由もなく死ぬということほど、死を冒涜《ぼうとく》するものはない。まるで隠蔽してきた死に復讐《ふくしゆう》されたかのように、白昼、ブラウン管に大量の死が曝《さら》され、理不尽を通り越して、死を語ることなど何の意味もないように思える。「大往生」も「遺書」もなく、私たちは死ぬのだ。  そしてそれらの大きな事件の陰でひっそりと、いじめを苦にした中学生は自殺している。  去年末に愛知県の中学生、大河内清輝君が凄絶な遺書を残して首吊り自殺した事件が報じられてからというもの、誰に、どのようにしていじめられたかを連綿と書きつづった遺書を残して首を吊る少年が増えている。  差別といじめがこの世界からなくなることはない。世界は誰かをいじめるような構造になっているのだ。  いじめられた少年が自殺する、そして他の何人かは生き延びる──。  二日前、高橋昌也氏に会った。  氏は伝説的な新劇の俳優であったが、俳優をやめて久しく、現在はセゾン劇場で現代劇の発展に力を注いでいる方である。  一昨年末に食道癌の末期だと告知され、去年一月に手術をしたそうだ。  完治する確率は四パーセントだということを知りながら、自らの臨死体験を笑いを交えて語る高橋昌也氏を前にして、私はどんな顔をしていいかわからず、タバコばかりふかしていた。とそのうち氏もポケットからタバコを取り出し、「いいんですか」と止めたのだが、「今は空気にだって、どんな食べ物にだって、発癌物質が入っているんだから」とマッチを擦った。そしてあっという間に、私が数えただけで八本のタバコを喫ってしまった。  手術のあと、意識が戻り、枕許《まくらもと》で心配そうな顔をして覗《のぞ》き込んでいる娘にピースサインをし、ウインクをしたという話をすると、氏は水割りに口をつけて沈黙した。 「自分の死ぐらいは自分で選びたいと思ってね……首吊りは苦しそうだから、何がいいかなぁ。日本ではアメリカみたいな安楽死はできないだろうし……」  自殺についての考えを、高校生に話してから二年が過ぎてしまった。改めて読みかえしてみて、こんなことを考えていたのかと恥ずかしくなる箇所がないわけではない。また、大震災とサリンによる死の前で自殺を語って何になろうかという思いも強い。  願わくば、等身大の死を、すべての死に──。   一九九五年 [#改ページ]    レッスン1999 死をコントロールする [#改ページ] [#小見出し]  平和の代償として、自殺は増えつづける 悪夢のような光景  多くのメディアで報告されているので既にご存じのかたも多いでしょうが、平成十年中における自殺者の総数は三万二八六三人、前年に比べて八四七二人も増加し、男性が二万三〇一三人、女性は九八五〇人です。全国で毎日九十人ものひとが自殺したという計算になります。具体的なイメージを喚起するために言えば、北海道の紋別市、あるいは愛媛県の伊予市の全人口に匹敵《ひつてき》するひとが消滅したことになります。両市のような大きな市《まち》がゴーストタウンと化してしまうほど多くのひとびとが自殺によってこの世から脱出していると考えれば、これがいかに途方もない数字か理解していただけるでしょう。自殺を企《くわだ》て未遂に終わったひとも自殺者と同数以上存在するとすれば、毎年阪神大震災クラスの地震に五、六回直撃されているのと同じ死者と重軽傷者を出しているわけです。こう考えてみると、マスコミはこの問題をそれほど大きく取り上げていないと言わざるを得ません。もし誰かが、去年自殺したひとの靴三万二八六三足を、東京ドームか皇居前広場に並べて見せれば、その悪夢のような光景が大々的に報じられるに違いありません。そうなれば、誰もがなぜこれほど多くのひとが自殺するのかを考えることでしょう。戦争や地震よりも多くの犠牲者が出ているのに、自殺についてほとんど議論されないのは、不自然さを通り越して、むしろ社会は、自殺を病死と同様に自然の摂理《せつり》として受容しているのではないかと疑いたくもなります。自殺は社会に何ら被害をもたらしていないと考えているのかもしれません。極論すれば、昨年の自殺者の三分の一にあたる一万一四九四人が、六十歳以上なので、少なくとも老人の死は社会に貢献しているとさえ見做《みな》していると考えられなくもない。老人一人に対して社会が負担する医療・介護費用はかなりの額に上るからです。しかし、まさか社会が自殺を歓迎しているとは思えないので、あくまで個人の問題として一般化しないで済ませようとしていると考えるほうが妥当でしょう。そこで私は本書を文庫化するにあたって、高校の教室で語ってから六年の歳月を経た上で、改めて自殺について論考してみたいと考えました。  マスコミは平成十年の自殺者の増加を、不況がもたらした悲劇と捉《とら》え、不況になれば会社が倒産するように、個人も自殺するという論調が多かったようです。そうとでも考えなければ、この異常とも言うべき自殺の急増について説明がつかなかったのでしょうが、私は不況が主たる原因だったとは考えていません。  前年に比べ、六十歳代(六十四歳まで)が四〇・四パーセント(九四五人)、十九歳以下が五三・五パーセント(二五一人)の増加となっています。もし不況が原因ならば、四、五十代の自殺の増加がトップでなければならず、未成年者が最も増加しているということをどう説明するのでしょうか。  これまで警察庁が発表してきた自殺の原因・動機を数が多い順に並べると、病苦、経済・生活問題、アルコール症・精神障害、家庭問題、勤務問題等ということになっています。この分類がきわめて不正確なのは、警察は主に自殺者の家族から得た情報を基《もと》にしているからです。たとえば、病気で苦しんでいたとしても、自殺者は病気そのものではなく、愛情の欠片《かけら》もない家族の看護に生きる望みを失ったかもしれないのに、家族は「病苦でした」と述べるに決まっています。癌《がん》を宣告されたひとが、己の尊厳を守るために自殺したとしても、警察は尊厳死として分類するわけではなく、病苦として扱うでしょう。江藤淳氏の自死を念頭に置いてもらえばわかるでしょうが、妻のあとを追ってとか、自己が形骸化《けいがいか》したからという分類項目はないのです。氏の自死が病苦として扱われたということには疑いの余地がありません。  私は明白な原因・動機があって自殺したひとは全体の一割にも満たないのではないかと考えています。ですから、なぜ自殺したのかではなく、ひとが自殺を選択する根源的な理由について考えなければなりません。自殺を誘発する脳内物質があるという説や、遺伝子に自己を消滅させるメカニズムが備わっているという学説すらあるのですから、人間の内部に自殺という仕組みがあるのだと言えなくもありません。しかしそれでは平成十年の日本で自殺者が急増した説明にはならない。私の考えの結論から述べれば、人間は生きる意味・価値を必要としている存在だから、ということです。  生きる意味・価値を必要としない、あるいは喪失してただ生物として生きているひともいないわけではないのでしょうが、少なくとも自殺したひとは、何らかの意味と価値を求めていたと言えるのではないでしょうか。 �恐怖の時間�に佇《たたず》む子ども  ひとはこの世に生を享《う》けた瞬間から、ひたすら母親、母親的なる存在に依存します。およそ三年間は生きる意味と価値を必要とはせず、ほぼ他者に依存し生物として生きるわけです。平成十年における自殺者の年齢別区分けの一番下は〇歳から九歳までになっていて、五名が計上《けいじよう》されています。残念ながら最年少が何歳だったかは不明ですが、三歳以下は考えられない。幼児は本能的に死に対する恐怖を持っているばかりではなく、生存するために全エネルギーを費やさなければならないので、生きる意味や価値を考える暇はないのです。三歳前後でようやく依存から脱し、自我が形成されはじめた途端に、ひとは意味と価値を見つけなければ生きていくことができなくなります。それを見つけられなければ自立することができないからです。全て命じられるがままに他者の価値観に従って生きていければ問題はないのですが、幼児期を過ぎてしまえば、常に母親か誰かに庇護《ひご》されて生きられるはずもなく、外界の存在を意識しないわけにはいかなくなる。外界にひとりで出掛けていくためには、こうしたい、こうありたいという行動の指針のようなものが必要なのです。  別の言い方をすれば、生命を維持するために必要不可欠だった母なる存在との依存関係を脱した途端に、ひとは世界と自分との間の透《す》き間を知覚します。四、五歳の子どもが、ひとりで居間に佇んでいる姿を想像してみると、なぜ自分はひとりぼっちなのか、なぜ誰もいない家のなかに放置されなければならないのか、そのことに恐怖している顔が浮かびます。疑いと不安に胸を締めつけられ、見慣れているはずのテーブルも時計も電話も、床に転がっている玩具《がんぐ》さえ、ひどくよそよそしい存在に思えてきます。世界は何の暖かみもなく、励ましや慰めの声が聞こえてくるわけでもなく、自分に対する悪意に満ち満ちているように思えてくるのです。これからも永遠にひとりぼっちで生きなければならないことを、すべてのものが思い知らせようとしているかのようです。それは子どもに空漠《くうばく》とした世界を実感させる恐怖の時間です。もう少し待てばお母さんが帰ってくるかもしれないし、外に出れば友だちが遊んでくれるかもしれないと思いながらも、今ここに存在していることに何の意味があるのか、自分が生きることに何の価値があるのか、もしかしたら|生まれてきたのが間違いだったのかもしれない《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、と子どもは自分が|この場所からいなくなる《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ことを願うかもしれません。生きる意味と価値がなければ怖ろしい外界に立ち向かうことはできないのです。いつか必死で生きる意味と価値を築き上げても、そのすべてを否定され壊される危機が訪れる──、自殺者は子どものころにこのような思いに囚《とら》われたことがあるのではないかという気がします。  誰もが幼児期にとどまっていることはできず、世界にたったひとりで放り出されてしまうのですから、自殺を根絶《こんぜつ》することはできないでしょう。ただ減少させる可能性があるとすれば、幼児期のように生きることそのものに全エネルギーを注がなければならなくなる状況、生きていること自体に価値を見出さざるを得ない状況を創り出すしかありません。絶え間なくつづく貧困、あるいは生命が危機に曝《さら》される状況、たとえば戦禍《せんか》に巻き込まれるしかないと思います。もちろんそんなことを願うひとがいるはずはありませんが、これまでのようにただ繁栄《はんえい》と平和を希求するならば、その代償《だいしよう》として多数の自殺者を生み出すでしょう。  自殺は貧困、病苦などの理由で絶望した人間の逃亡として思い描かれているようですが、それが正しいのであれば、世界の紛争地帯や難民キャンプでこそ自殺者が続出しなければ辻褄《つじつま》が合いません。ところが貧困や戦時下においては、ひとは生き延びること自体に最大の価値を置くので、むしろ自殺者は少ないのです。ですから私は自殺者が二万人以上いる間は、日本は繁栄していると考えて差し支えないと思います。ちなみにバブル期は年間約二万四、五千人という自殺者を出しています。平成十年の自殺者が三万人を越えたのは、不況のせいではなく、これほど多くのひとびとが生きる意味と価値を喪失してしまうくらい、世紀末的に繁栄し平和であったからだと考えるべきではないでしょうか。 [#改ページ] [#小見出し]  伊丹十三、新井将敬、hideの死 家庭の価値を肯定するために  何の根拠もなく言いますが、私は日本人の四人に一人は自殺する可能性を内に秘めているのではないかと考えています。彼らは「あなたは人生において最も大切だと思うものを失えば、生きていく意味がないと考えるタイプですか?」という質問にイエスと答えるひとたちです。言うまでもなくあらゆる価値は幻想に過ぎませんが、その幻想が壊れると生の根拠そのものが失われると思い込むのです。また価値は欲望によって支えられていますから、ただ生きているだけでは堪えられないほどの強い欲望を持っているひとだとも言えるでしょう。自殺は幻想の破綻《はたん》がもたらす欲望の清算なのではないでしょうか。  平成九年の十二月に、映画監督として名高い伊丹十三氏が自殺し、師走《しわす》の日本に衝撃を与えました。テレビや週刊誌などで報じられた彼の友人たちのコメントは、伊丹氏ほどの人物がなぜ自殺したのかわからないというものでした。私はなぜ彼らが自殺の動機を理解できないのか不思議でした。伊丹氏はインタビューなどで妻への愛を語り、家庭の価値を肯定していたひとです。にもかかわらず、自身の不倫が写真週刊誌によって暴《あば》かれそうになった。そこで氏は、欲望を清算するために自殺した、そう私は理解しました。遺書にあった「死をもって潔白を証明します」というのが動機ではなく、家庭に価値があるとする自らの考えが偽りではなかったことを証明するために自殺したと考えるほうが自然だと思います。記者会見が設定されていたのだから、マスコミに対して釈明《しやくめい》した後に妻と家族に謝罪すれば済んだろうに、と考えるのは他人の価値の尺度に過ぎず、伊丹氏のように自らの論理に潔癖《けつぺき》だったひとには堪えられなかったのでしょう。自己の美学と論理に幻想を持ってしまった人間は、それが破綻するくらいならば死んだほうがましだと思うのです。私は当時『新潮45』という月刊誌に「仮面の国」というタイトルで社会時評を連載していて、「私はいつかひとびとが、一九九七年という一年の幕を伊丹十三氏の自殺をもって引くことができたことに感謝の念を持つ日が訪れると信じたい」と書いたのですが、それ以降、あの異常とも言うべき失楽園ブームは消え失せ、不倫が色褪《いろあ》せたことだけは確かなようです。ひとは欲望を抱えなければ生きてはいけませんが、病死、事故死、自殺であろうと、いつか必ず死をもって欲望を清算しなければならないように運命づけられているのです。 清廉潔白というイメージに殉じる  若手政治家のホープとして期待され、テレビの討論番組出演等によって論客として評価されていた新井将敬氏の自殺もマスコミで大きく報道されましたが、自殺の動機はいっこうに明らかにされないまま、ひとびとは彼の死を忘れ去ったようです。価値の崩壊という視点で新井将敬氏の自殺を考えれば、ことの真相が見えてくるような気がします。平成十年、新井氏は証券会社からの利益|供与《きようよ》に関する問題で、国会での逮捕許諾《たいほきよだく》要求の議決直前に都内のホテルの一室で首吊り自殺しました。政治家の金にまつわる疑惑など掃いて棄てるほどあります。世間のひとびとにとっては、ああまたか、という程度のことでしかなかったにもかかわらず、彼自身は過剰に反応しました。想像に難《かた》くないのは、疑惑が発覚した当初、ジャーナリストや後援会の幹部、同僚議員らに、絶対にそんな事実はないと断言しただろうということです。日に日に追いつめられ身動きがとれなくなった彼が選択したのは、自身の潔白を主張して裁判で争うことではなく、自死でした。新井氏は、清廉《せいれん》潔白な次世代のリーダーというイメージが崩壊すれば、すべてを失ってしまうと考えたに違いありません。ある種の人間は、実像よりも虚像のほうを命懸けで守らなければならないと考えます。彼は虚像に殉じたのではないでしょうか。  虚像とは、他者の眼差《まなざ》しに照らされた自分の姿です。新井氏は子どものころから常に他者の期待に応えようとして生きてきたのだと思います。他者に|どう見られているか《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、ということが一時《いつとき》たりともこころから離れることはなかったのでしょう。自殺者に共通しているのは、肉親を含めて本当に親しいひとがいないことだと思います。彼は家族に対しても虚像で接していた、家庭のなかでさえ自分が|どう見られているか《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》を意識しながら、自分自身を演じていたのではないかと思われます。もし新井氏の近くにいた人間が等身大の彼を受け入れ、検察と争うのではなく証券会社からの利益供与を認めて政治家の職を辞することをすすめていれば、彼は自殺を思いとどまったかもしれません。私は何も新井氏の家族を非難したいわけではありません。おそらく彼自身がそのように接してもらいたいとは思っていなかったはずですし、誰からも挫折した人間として見られたくはなかったのでしょう。  他人の期待通りに振る舞いたいと考えるのは欲深いことであり、いつか必ず無理が生じて破綻すると思います。官僚型の秀才にありがちな、他者からの喝采《かつさい》と羨望を一身に集めなければ生の実感を持てないタイプ、新井氏はまさに優等生でありつづけたひとであり、政財界に基盤がないがゆえに大衆の人気に頼っていた政治家です。彼は清新な改革派の政治家という虚像に敗れ去ったのではないでしょうか。新井氏と伊丹氏の自殺はスキャンダルによる破綻という一点で似通っているとも言えますが、新井氏は伊丹氏のような殉ずべき家族と論理を持っていなかったのではないかという気がしています。新井氏は常に他者の目に映る自分の姿に見惚《みと》れていただけで、自身のこころの内側は空洞だったのではないかと思うのです。私は、新井氏ほど高名でありながら、生きる意味と価値を支える欲望が希薄な印象を与えたひとをほかに知りません。それが彼が帰化した在日であったからだったかどうかは、ここでは触れないでおきます。 燃え尽きて灰になる  若者に衝撃を与えたのは、「X JAPAN」のhideが自宅マンションのドアノブにタオルをかけて首を吊ったことでした。彼は「X JAPAN」の解散後に新しいバンドを組み、CDの売れ行きも好調だったようで、周囲のひとびとは自殺しなければならないような絶望的状況は何ひとつなかったと首を傾《かし》げていました。その後、肉親や関係者が自殺を否定し、泥酔《でいすい》によって起きた事故だと証言したので、警察はおそらくアルコール症として処理しただろうと思われます。  はっきりとした原因・動機はわからないにしても、首を吊ったということは事実で、酒に酔って足を踏みはずし高所から転落死したのとはわけがちがいます。自殺願望、少なくとも首を吊るというイメージがなければ、ドアノブにタオルをくくりつけるはずがありません。彼の内には自殺のイメージがあったのです。  地震や遭難《そうなん》など生存が危ぶまれるなかで生還するひとに共通するのは、絶対に生き延びるという強い意志を持っていることだそうです。同じ災難に遭遇しても、こんなに苦しいなら死んだほうがましだとあきらめてしまうひともいれば、死んでたまるかと生にしがみつくひともいる。生命力や生への執着の強弱はひとによって異なります。たぶんhideというひとは、そのどちらでもなく、燃え尽きて灰になるというイメージを抱いていたのではないかという気がします。ロックバンドというのは「ローリングストーンズ」のような例外はあるものの、バンド結成時に、いつかは解散するのだということを念頭に置くのが普通です。しかも頂点に達したときに解散したいという願望を持つのではないでしょうか。hideは「X JAPAN」の解散をそのように捉えていた、つまり燃え尽きて灰になったのだ、と。そして新しいバンドを組んだものの、「X JAPAN」を超えられないということを誰よりもわかっていたのは彼自身だった。そう思わないではいられないほど、彼にとって「X JAPAN」の活動は強烈な体験だったろうし、事実彼は燃焼していたのです。私は、彼がhideである限りにおいて、「X JAPAN」を葬り、新しいバンドで生まれ変わることは不可能だったのではないかと思います。  彼の本名は松本秀人です。ジョークのように聞こえるかもしれませんが、私は新しいバンドでは、たとえばhidetoという名前を使うべきだったのに、hideのままで通したことが悲劇の原因だった気がするのです。新しいバンドのファンは「X JAPAN」から流れてきたひとたちだったはずです。「X JAPAN」から逃れるためには、彼はhideを葬って松本秀人に戻り、新しい名前で蘇《よみがえ》らなければならなかった。しかし何らかの事情でそれができなかった、「X JAPAN」の残像を引き摺《ず》ったままで新しいバンドをスタートさせたために、その残像に首を絞められたのではないか、というのが私の推理です。彼はhideに殉じたのだと思います。  私はテレビの音楽番組で新しい人気バンドの誕生を知るたびに、いったい彼らはどういう結末を迎えるのだろうかと気になって仕方ありません。どんな物事にも終わりはつきものですが、人気バンドは必ず|早すぎる死《ヽヽヽヽヽ》を内包しているので、痛々しい思いがしてしまうのです。私はhideのことを二十代の若者だと思い込んでいましたが、三十三歳での死でした。「X JAPAN」は彼の青春であり、新しいバンドでもう一度青春を生き直すことに堪え難い疲労感をおぼえたのではないでしょうか。彼は余りにも早く過ぎ去ってしまう時の渦のなかに飲み込まれていったという気がしてなりません。  ひとはその人生において幾度かの結末を迎え、そのたびに何事かを葬らなければなりません。自殺者は、過去を埋葬《まいそう》できずに、過去にこころを奪われ、自滅したひとなのかもしれません。失恋したのならば恋を、会社が倒産したりリストラされたのならば前職を葬り去ることができなかった。いじめで苦しんでいる子どもは、いじめられている空間は変更可能だし、いじめそのものもいつかは結末を迎えるはずなのに、未来|永劫《えいごう》つづくような気持ちに囚《とら》われてしまう。現在進行していることも刻々と過去になっているというのに、自殺を試みるひとは過去の何事かの囚われびとになっていると言えるのではないでしょうか。 毒物という�安心�を手に入れる  次から次に報じられた自殺に関するニュースで最も興味深かったのは、若い女性がインターネットを通じて宅配便で届けられた青酸化合物を飲んで自殺するという平成十年末に起きた事件でした。彼女のほかにも複数のひとびとに毒物を送っていた札幌市内在住の「草壁竜次」という男は、事件発覚後に服毒自殺を遂《と》げました。  彼はインターネット上で、手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』の登場人物の名前からとった「ドクター・キリコ」を名乗っていました。インターネットで取り引きをするという特異な方法もあいまって世間を震撼《しんかん》させた事件ですが、ひとびとは事件の新奇な面ばかりに関心を奪われ、七名もの人間が自殺目的で毒物を入手したという事実にはさほど注目しなかったようです。そのうちの一人の女性が、あれは自殺するためではなく、むしろ青酸カリを持っていればいつでも死ねるから、|今すぐ《ヽヽヽ》死ななくてもいいという安心感を得るために入手したのであって、ドクター・キリコも絶対に飲むべきではないとくりかえし呼びかけていたという手記を発表しました。つまり、送ったほうも受け取ったほうも自殺|抑止《よくし》のための毒物であると認識していたというのです。  私はこの女性の言い分をすんなりと受け入れることができました。もし事件が発覚する以前にドクター・キリコの存在を知っていたら、私もまた青酸カリを送ってもらっていたでしょう。ドクター・キリコのみならず、もし誰かが譲ってくれるという情報を得たら、今すぐ高額の代金を払ってでも入手すると思います。毒物は自殺を回避《かいひ》するための御守りの役割を果たすのだと言われても、理解できないひとが多いかもしれません。どんなに困難な状況に陥《おちい》ろうが、それに対峙《たいじ》して乗り越えるべきだし、死の世界に逃避するのは卑怯《ひきよう》だ、ましてや今のところは自殺する原因も動機もないのに、たとえそれを回避するためであったとしても、自殺したいと思う日のために毒物を隠し持っているということ自体ばかげていると思うでしょう。私の気持ちをわかってもらうのはとても難しいですが、何とか説明を試みてみます。今、この瞬間は、過去と連綿としてつづいているし、未来とも繋《つな》がっている。つまり、過去と未来がせめぎ合っている時間なのです。今まで過去に起きた出来事も、今から未来に起こり得る出来事も、その全てが〈今〉に含まれています。従って私は過去にそう思う日があったように自殺したくなる日が必ず訪れると考えているだけではなく、今もその願望はこころのどこかに潜んでいると考えているのです。また、自殺を逃避だと考えるひとは、死は否定されるべきものだという確たる信条を持っているのでしょうが、わたしは必ずしも死を忌避すべきものだとは考えていません。どんな苦境にも堪え抜き生きることを貫いているひとには敬服するしかありませんが、それでも死んだほうがましだという状況に陥ったら生を閉じたほうが楽ではないかという思いを棄て切れないのです。このような私にとって、毒物が抑止力になるという考えはとても新鮮で魅力的でした。私は自分の部屋の引き出しに毒物を隠し持っている、死にたいと思えばあっという間に死ねる、だけど、いつでも死ねるのだから、今《ヽ》すぐ死ぬ必要はない! 外的な力で死に追いやられるのではなく、死はわが手のなかにあるのです。ある日突然、死の衝動《しようどう》が襲いかかってくるわけではありません。死は自己の内部に棲《す》みついているのだから、死をコントロールするのは外部の力ではなく、あくまで自分の意志なのです。  もちろん毒物を私有するということは法律に反するし、ドクター・キリコから毒物を入手した五名は死ななかったにしろ、二名は服毒したのですから、誰にとっても自殺の抑止力になるわけではありません。私が言いたいのは、毒物を持つことを推奨《すいしよう》しているのではなく、自殺の衝動を制御したければ死をコントロールする方法を考えるべきだということなのです。 [#改ページ] [#小見出し]  復讐する子どもたち 自殺した子どもの未来とは  平成十年に未成年者の自殺が大幅に増加したことについては既に記しましたが、大人と子どもの自殺に大きな違いがあるわけではありません。子どもの自殺の報道に接した大人の一般的な反応は、短い経験によって導いた幼い結論に哀しみと憤《いきどお》りをおぼえる、といったものが多いようですが、それでは子どもは未熟なるがゆえに死に急いだということになってしまいます。しかし、自殺が経験や思慮の深さに左右されないということは、圧倒的に五十代以上の自殺者が多いという事実を考えればすぐにわかるはずです。にもかかわらず、短慮《たんりよ》のせいで自殺したのだと思いたがるのは、大人の自殺は止むを得ない事情があったのだとあきらめられるものの、どうしても自殺した子どもの未来の可能性にこころを奪われてしまうからでしょう。  自殺の原因・動機に年齢は関係ないとは言っても、確かに自殺した子どもが何らかの事情で思いとどまっていたとしたら、翌日から何事もなかったかのように学校に通い、その後も恋愛、就職、結婚というごく普通の人生を送っていたかもしれません。だからと言って、私は彼らの自殺を短慮のせいだと決めつける気にはなれないのです。太宰治や三島由紀夫という大作家が、もし自殺していなければその後どんな作品を残しただろうと考えても意味がないように、生は閉じられた瞬間に完結するのだと考えるほかはありません。短くても完成されていたのかもしれないし、長くても未完成な生もあります。自殺した子どものことを思うと、無念ではあるけれど、彼は彼なりに完結した人生を送ったのだと信じたいのです。  大人と異なった点をひとつだけ挙げるとすれば、子どもは自分を死に追いやったひとに対して復讐《ふくしゆう》を遂げられるという幻想を抱いて自殺するケースが多く、ほとんどの自殺の動機には多かれ少なかれその意識があるように思えるのです。  特にいじめにあっている子の自殺の場合、マスコミはいじめた子はもとより学校側の責任を追及し、ときとして両親の怠慢《たいまん》を非難する論調を強く打ち出すので、テレビでそのことを知ったいじめにあっている子どもはカタルシスを得た上、死を賭《と》して強者にダメージを与えた子どもをヒーローのように思ってしまう。そのような論調でマスコミが報じるのは、いじめをなくしたいというキャンペーンなのでしょうが、報道がアナウンス効果となって自殺を反復させてしまうのです。また、報道する側の内部に自殺者に対する強い敬弔《けいちよう》の念があり、それが子どものこころに甘く響くのではないでしょうか。  日本人には自死を切腹、殉死、心中などと美化する伝統があります。自殺者が三万人を越えるという異常事態は、その伝統的な美意識も影響しているのではないかと思わないわけにはいきません。有名人の自殺にはどう考えても無責任きわまりないケースもあるのですが、マスコミ、特にワイドショーはほぼ美化一色で報じるのが常です。マスコミだけに責任があるわけではなく、ごく一般的なひとびとが自殺者に対して、潔《いさぎよ》さ、散《ち》り際《ぎわ》の美しさ、強い責任感、勇気というような畏敬《いけい》の念を感じているからこそ、そのように報道されるのでしょう。現代でも、この国においては自死は汚れを浄《きよ》めるものとして受容されています。自殺を肯定的に捉《とら》えるのは、伝統的な恥の文化に根差しているはずなのに、これだけ倫理が失われた社会で、自殺だけが特権化されている風潮は不思議だと言わざるを得ません。たとえば、三人のコギャルがビルの屋上から飛び降りたとします。すると、マスコミ及び世間のひとびとは、彼女たちの日ごろの行状《ぎようじよう》は忘れ去り、突然|厳粛《げんしゆく》な眼差しをコギャルたちの内面に向け、彼女たちをもっと理解すべきだという論議が湧《わ》き起こるでしょう。荒廃した時代に身をもって抗議したのだと主張するひとまで現われるかもしれません。  話を戻せば、いじめによる自死は恥の意識がもたらした切腹《せつぷく》だと考えられなくもない。いじめに対抗できないのは、いじめられているという事実そのものが堪え難い屈辱なのに、それを親や教師に告げるのはさらなる屈辱であり恥なので、自死の道しか残されていないと考えるからです。こう書きながら私は半《なか》ば本気で伝統文化にのっとった行為ではないかと思いはじめています。  子どもの自殺を減少させるためには教育しかありませんが、おそらく親や教師は自死の美学を否定する論理を組み立てられないだろうし、子どもに納得させるように教えることはできないと思います。かつて少年の殺傷事件が頻発《ひんぱつ》したとき、テレビ番組のなかで少年側から「なぜひとを殺してはいけないのか」という問いが発せられて問題になりましたが、「なぜ自殺してはいけないのか」と子どもに問われたとき、自殺しようとしている子どもを思いとどまるように説得するのは難しい。自死の美学はこの社会で生きていますし、自死を美化した物語や歴史を否定しなければならないとしたら、とても手に負えるものではないでしょう。  週刊誌などに掲載《けいさい》されている子どもの「遺書」を読むと、その多くが家族やクラスメートに向けて、「これまでありがとう」という感謝の言葉を記し、自分が死ぬことを「ごめんなさい」と謝っていることに、狐につままれたような気持ちにさせられます。そこまで冷静に遺書が書けるのならば、なにも死ぬことはなかったろうにと思うからです。  「○○へ [#ここから2字下げ] このletterは○○あてに書くけど、できれば、みんなで読んで!! まず初めに、�ゴメン�まじで。今回オレのせいでみんなやべーことになっちまって。けどもうオレはぜったいみんなにめいわくかけない! なぜならオレはもうこの世から、いなくなるから!? ってゆーか、もう○○がこの手紙よんでるころはオレは天国or地獄に行っていると思う。ほんとに自分勝手でゴメン。オレが死ぬ理由は、みんなにわるいから&家でいろ×2あったから&人生から逃げたくなったから(これから生きていく自信がなくなったから)。(中略)みんなこれからチョー大変なのにオレだけ楽なみちえらんで本当にみんなに悪いと思ってる。ゆるしてください。 オレはみんなにあえて本当によかった。 中学校に入ってからいろんなことあったけど、言葉じゃいい表せないほど超[#「○に超」]いろんな楽しいことあった。本当にありがとう。」(中略は筆者) [#ここで字下げ終わり]  これは中学二年の男の子が友人にあてた「遺書」の一部ですが、この文章を読んでも、誰も本気で自殺するとは思わないはずです。この子は遺書を書きながら浮き浮きしていた、キャンプか何かを終えたばかりで、その楽しかった思い出を書いているのと変わらない昂揚《こうよう》感を味わっていたのではないかという気がします。私はいかにも今どきの中学生らしい「ってゆーか」とか「いろ×2」などという言葉づかいから、そう指摘しているわけではなく、あくまでこの文章を書いたときの彼の精神状態を言っているのです。おそらくこれまで遺《のこ》されたなかで最も|カルイ《ヽヽヽ》遺書ではないでしょうか。だからと言って最近の子どもは命の大切さを知らないとか、自分の命さえバーチャルなものとして捉えているなどと嘆いているわけではありません。もし子どもが命の重さを知らずに軽々と生と死の垣根を飛び越えてしまっているのだとしたら、それは社会が生命をカルガルシク扱っているからにほかなりません。そう考えて、改めてこの遺書を読み直すと、このカルイ調子の底から少年の哀しみが響いてきて、自ら命を絶つという行為を目前にして、これでせいいっぱい|まじ《ヽヽ》だったのかと思うと胸が塞《ふさ》がれます。  私は「子どもの自殺を減少させるためには教育しかない」と前述しましたが、結局は社会全体が根絶しようという強い意志を持たなければならないのです。私は二〇〇〇年から自殺者の数は減少に向かうのではないかと予測していますが、子どもの自殺がはっきりと減るのは二〇二〇年ごろまで待たなければならないだろうと考えています。根拠はと問われれば、怪しげなものですが、ベビーブーマー世代が平均寿命の年齢に達するまでという計算です。そのころまでには社会が本気で少子化による国の滅亡を危惧《きぐ》し、老人の医療と介護のために負担してきたコストを、子どもに向けざるを得ない状況になっているに違いありません。つまり、二十一世紀には子どもの価値が高騰《こうとう》するのです。  一般的には、今どきの子どもは甘やかされて育ち、飽食の限りを尽くしていると非難されているようですが、私は戦後、ひょっとすると有史以来最も子どもの価値が暴落し、粗末に扱われているのではないかと思っています。コギャルを含めて親に見棄てられた子どもは大勢います。 子どもの四割は親に見棄てられている  現在、ほとんどの親は子どもに老後の面倒をみてもらおうとは考えていないでしょう。子育てに投資した金は回収されるあてもなく、言わば不良債権と化しているのです。親たちは自分の子どもが小学校の高学年に達し、たいした成績でもないし特別な才能もないことがわかると、子育てを放棄し、自由放任というかたちの子棄てをはじめます。このような親たちを、なぜ自分の子どもがナイフを持っていることに気づかないのか、なぜ小遣《こづか》いでは到底買えない高価なブランド品を持っていることを知らないのかなどと非難しても仕方ありません。もうとっくに子どもに対する関心を失ってしまっているのですから。  学級崩壊、少年犯罪、援助交際、自殺など子どもの問題のほとんどすべては、親たちが子育てを放棄したことに起因するのだと言って過言ではないと思います。私が知る限り、子どもが問題を起こすのは親がいい加減だからだ、親が悪いという声はあっても、じつは親にとって子どもを育てる意味と価値がなくなってしまい子棄てをした結果なのだと指摘するひとがいないのは、女は本能的に母性愛を持っているとか、自分の子どもを愛さない親はいないという幻想を壊したくないからなのでしょう。子どもへの虐待の増加はこのような風潮と無縁ではないにもかかわらず、母親になる資格がないばかな女が無責任に子どもを産むからだ、などと言って済まそうとするひとたちが多いのですが、そうではないのです。たいして利口でもない女が子どもを産み育てていたということは昔も今も変わりありません。ただ昔は子どもの価値が高かったので、親戚や近隣のひとたちが子どもを見守り、社会に子どものセーフティネットが備わっていたと言えます。産んではみたものの、これほど子育てに手間と金がかかるとは思いもよらず、自分にとって無意味で無価値であるだけではなく、人生の楽しみを邪魔するだけの存在だと思うに至って、親は子どもを憎悪しはじめるのです。これが子どもへの虐待の芽生えです。  私は少なく見積もっても子どもの四割は親に見棄てられ、家庭内孤児になっていると推測しています。因果が巡るのは当然で、見棄てられた子どもたちは親や社会に対して復讐心を抱き、ルールや倫理など気にも留めません。そして平成のアンファンテリブル(恐るべき子どもたち)が続出し、ついにはアングリーヤングメン(怒れる若者たち)ならぬ、アグリーヤングメン(醜い若者たち)となって街を闊歩《かつぽ》するのです。親に見棄てられて孤児となった者たちが、社会を見棄てないわけがありません。 [#改ページ] [#小見出し]  虚栄とナルシシズムがもたらしたもの 私が自決する時  ここまで読んだ読者のみなさんは、私が自殺を肯定しているのか、それとも自殺の抑止について語ろうとしているのかわからなくなっているかもしれませんが、まさにその通りで、私は自殺を半ば肯定し、半ば否定しているのです。  私の自殺に対する考えの中心をなしているのは、生のなかに死をプログラムすべきだということです。ドクター・キリコについての箇所で、「自殺の衝動を制御したければ死をコントロールする方法を考えるべきだ」と述べたのは、どんなにポジティブに生への意志を持っていても、必ずいつかは死が訪れるのだから、予《あらかじ》め死の準備をしておくべきだと言いたかったのです。私は死をプログラムすることが、生きる価値と意味を喪失してしまった現代社会において、自殺をコントロールする唯一の方法なのかもしれないと考えています。  遺伝子は二〇〇三年までにはそのほとんどが解析されるそうです。遺伝子のなかに書き込まれた生と死のプログラムが読み解かれるということになりますが、その人間が自殺するかどうか、また自殺するとしたら何歳で自殺するのかということまではわかるはずがありません。自殺は環境と外的な力によって大きく左右されるからです。しかしひとは自己を保存したいという欲求と同様に、死にたいという欲求、死に対する意志を持っていると考えるべきだと思います。  最新の科学をもってすれば、老化の遺伝子を操作することによって、人間の寿命を相当長期間、たとえば二百歳まで延ばすことが可能なようです。老化、すなわち死は遺伝子のなかにプログラムされています。生が死を内包しているという事実を、思想化とまでは言いませんが、意識のレベルにまで高めることによって、死を自分のものにできるのではないでしょうか。  私は今日ほど考えることが軽んじられている時代はないと思っていますが、誰でもいつかは死とは何かを考えないわけにはいかないのです。だとすれば、まず生のなかに存在する死を受容することから考えはじめたらどうかと言いたいのです。戦後十年あるいは二十年くらいまでは、肉親が病院ではなく家で死んでいたというだけではなく、仏壇やお盆や墓参りといったものを通して死はひとびとの暮らしのなかで息づいていました。しかしいつの間にかひとびとは死を遠ざけ、生のなかに死が内包されているという実感を失ってしまったのです。半世紀以上も戦争が起きていないことも、死を身近なものとして感じられなくなった大きな理由でしょうが、ひとびとは平和のなかに死を隠蔽《いんぺい》してしまったのだと思います。死は外側からやってくるのではなく、ひとりひとりの内部に実存しているのだとすれば、どのようなときに、どのように自決するのかを考えておくことは、生の意味と価値を探求することになるのではないでしょうか。目の前にどんなに生き難い状況が出現しても、生きていることそれ自体に意味と価値があるのだという境地にまで達することができれば問題はないのですが、そこに到達できないならば、自らの意志で死を選択するという覚悟を持っていたほうがいいと考えるのです。  私は、自らの尊厳が回復不能なまでにダメージを受けたとき、自決しようと考えています。そうたいした尊厳を持っているわけでもあるまいにと嘲笑《わら》われるかもしれませんが、他人から見れば取るに足りない自尊心だとしても私にとっては生命と引き換えにしても守らなければならないものなのです。確かに肥大化した自尊心は鼻持ちならないものでしょうし、自分でもときどき滑稽だと思います。しかし私には生きるかたち、スタイルがあって、それが崩されれば生の根拠が奪われてしまうのです。  十代の半ばに何度か自殺を試みて失敗し、それ以降十五年以上生きていますが、あのとき死んでいたら今の私は在りませんでした。ですから軽々に自殺を試みるのがどんなに愚かなことかはよくわかっているつもりです。江藤淳氏でさえ、親しかった友人が「あのとき雨が降っていなかったら」と発作的な死であったことを示唆《しさ》しているのですから、私ごときは今度試みたとしても未遂に終わり、その後十数年を何事もなかったかのように生きるのかもしれません。しかし、それでも私の自尊心を決壊《けつかい》させるような何事かが起これば、迷わずに死を選ぶつもりです。私は自尊心を守るために小説を書いているようなところがあるのです。もしも、これから書く小説が、担当編集者、文芸ジャーナリスト、評論家、他の作家、そして読者からこぞって否定されれば、私は筆を折るしかありません。書けなくなれば、私の生きる根拠はなくなってしまいます。書けなくなった私は私ではないからです。私にとって書くことは、イコール、生きることなのです。こう言うと、文学に殉じるという悲愴《ひそう》とも尊大ともつかない大仰《おおぎよう》な自意識を披瀝《ひれき》しているようで恥ずかしいのですが、私のような自尊心を持って仕事をしているひとは案外多いのではないでしょうか。  この一文を書いている合間に新聞に目を通し、アナウンサーの中年男性がマンションのドアノブで首を吊って自殺したという小さな記事を読みました。局アナ時代には人気があった彼は、フリーになってはみたものの仕事に恵まれず、恋人ともマネージャーともつかない女性との間にトラブルまで発生し、それがスキャンダルとして報じられました。彼から自殺するという内容のファックスを送りつけられたその女性があわてて駆けつけてみると、彼が鮨屋だかで食事をしていたために失笑を買ったらしいのですが、二、三カ月後についに自殺したというのが顛末《てんまつ》のようです。おそらく彼には野心があったろうし、フリーになっても十分にやっていけるという自負もあったのでしょう。金も名声も手に入れたかった。つまりは自己を過大評価し、自尊心の強いウヌボレヤに過ぎなかった彼は、その性格のせいで死の側《がわ》に転落したと言ってもいいでしょう。お気の毒ではあるけれど、記事を読み終わっても哀悼の念や教訓とすべきものは全く浮かばず、悪性腫瘍のように肥大化したプライドによって身を滅ぼされたごくありふれた一例として、まるで無味無臭の粉末を飲まされたような思いが残っただけです。それではこのアナウンサーが自殺を回避する道はあったのでしょうか? アナウンサーを辞めてほかの仕事に就くか、アナウンサーの仕事にしがみついてどんな小さな仕事でも引き受け再起を期するか。プライドさえ棄てれば可能だったのでしょうが、彼には棄てることができなかった。私はどちらが彼にとって良かったのかを判定するのは案外難しいのではないかと思います。恥辱と軽蔑の眼差しに堪え素知らぬ顔を拵《こしら》えて生きる道よりも、自死を選びとったほうがはるかに人間らしいと言えなくもありません。弱いと言ってしまえばそれまでですが、彼は人気で自分を支えようとしてみたものの、人気はあっと言う間に消え失せ、残されたのはプライドだけだった。私は自戒の念を込めて言うのですが、ある種の人間にとってプライドとは、それなしでは生きていけないという強い思い込みと錯覚から生まれた致命的な欠点だと思います。 生きる歓びを訴えた自殺者  自殺の理由のほとんどは虚栄とナルシシズムがもたらしたものだと思います。ただ、虚栄とナルシシズムが何故に自らの手によって自己を消滅させるほどのエネルギーを生み出すかが問題なのです。私は人間はその二つがなければ生のエネルギー、そして文明を創り出すことができなかったのではないかと考えています。二十世紀ほど人類と国家の虚栄が華々しく発揮された時代はなく、世紀末になってその虚栄が弾《はじ》け、多くのひとびとが死に急いでいるのかもしれません。大きな繁栄という物語からすれば、自殺はほんの小さな虚栄の挫折だと言ってしまったら、言葉が過ぎるでしょうか。  世の自殺のほとんどは虚栄とナルシシズムで読み解くことができるのですが、日本人がその二つを否定しながらなお自殺に美学を感じてしまうのは、虚栄とナルシシズムそのものを根底から覆《くつがえ》すのではないかと思わせる自殺者が存在するからです。  戦後に限定すれば、昭和四十三年の円谷幸吉さんの自死がそれに当たります。  東京五輪銅メダリスト、円谷幸吉さんの自殺は、「父上様、母上様、三日とろろ美味《おい》しゅうございました」(全文=前掲)ではじまる遺書の比類なき美しさによって、ひとびとに衝撃と感銘を与えました。円谷さんの自死に虚栄とナルシシズムが微塵《みじん》も感じられないのは、その遺書が、生きる歓び、生へのいとおしさ、生の光輝《こうき》を切々と訴える内容だったからです。  自殺からだいぶ経って、陸上自衛隊に勤務していた円谷さんには婚約者がいたこと、上官からメキシコ五輪でメダルを獲得するまでは独身を貫いたほうがいいと結婚を反対され、ついには婚約者の女性から断られて破談となったという事実が明らかになりました。オリンピックという国家の虚栄を押しつけられた円谷さんは、私生活の自由を奪われたあげく、生の走行を停《と》めてしまったのです。私は円谷さんの自死には虚栄とナルシシズムが微塵も感じられないと述べましたが、彼の内にメダルへの執着がなかったとは言い切れないし、婚約者の側《がわ》からの破談にしても関係者からの圧力はあったのでしょうが、婚約者も結局はオリンピックの栄光を優先させるべきだ、と納得して身を引いたのでしょう。いずれにせよ、若いマラソンランナーとその婚約者は国家的虚栄の渦に巻き込まれ、結婚という個人的な幸福を奪われてしまったのです。  しかし、食すること、身近なひとを思いやること、またそれを受けることに深い感謝の念を表わすささやかな生の営みのなかにこそ神は宿るのだという、生命そのものの美しさを讃《たた》えた遺書を残したことによって、円谷幸吉という希有《けう》な人格はオリンピックのメダルをはるかに凌《しの》ぐ輝きを今なお放ちつづけているのです。  平成十一年の江藤淳氏の自裁《じさい》も虚栄とナルシシズムとはかけ離れたものであった、と私は思います。  日本は、円谷幸吉さんの遺書に込められたメッセージとは逆の方向へとひた走って高度経済成長を遂げたものの、バブルが崩壊し不況に陥りました。現在社会問題化している「過労自殺」を虚栄とナルシシズムによる自殺だと断じれば、関係者は到底納得できないと怒りをあらわにするに違いありません。私にも、過労自殺が、会社の利益追求のために過重労働と責任を背負わされた個人が、その重圧に堪えかねて死を選択したものだということはわかっています。主に中間管理職のサラリーマンの自殺ですが、私は過労自殺もやはり広い意味での虚栄に含まれると考えています。重い労働と責任に疲労|困憊《こんぱい》し自殺しなければならないほど追いつめられてしまうのは、自己を規定し、そのなかに閉じ込もってしまうからです。自己規定とは他者の視線、つまり自分は他者からどう見られているのか、どのように期待されているのかという自意識から生まれます。この自己規定の閉塞《へいそく》状況から自由になれないことが異常な数の自殺者を出している原因とも言えます。他人から無能だと見做《みな》されたくないという意識にがんじがらめになっているのです。他者の視線に拘束されるのは、ある種の虚栄でしょう。他人にどう思われようが、自分の能力の範囲内で仕事をするしかないのです。それでもリストラの対象となってしまったら家族には迷惑をかけるが、家族も自分が精一杯頑張ったということは理解してくれるだろう、と考えればいいものを、そうは考えられない。日本人の自己規定への異様とも言うべき拘《こだわ》りは、長い歴史において培《つちか》われたものであって、それが〈和〉の精神を育成したのだから一概に否定することはできません。全て自己責任において行動するというアメリカ人の企業論理を適用すれば過労自殺を減少させられるのかもしれませんが、企業経営を日本型からアメリカ型に転換することによって本当に労働環境が改善され、日本経済が発展するのかどうかについては、大きな疑問が残ります。私はアメリカ型ではない日本的な個の確立によって、自己規定の枠から自由になるべきだと考えています。それではどうすれば日本人が個を確立できるのかということは、余りにも大きな問題であり、ここで論ずべきテーマでもないので問題を提起するにとどめておきます。 [#改ページ] [#小見出し]  ひとりひとりが「死の解釈」を 植物状態でも生きたいか  死をコントロールするためには、信仰を持たないのであれば、死とは何かを自分なりに解釈するしかありません。私は単純に「永眠」だと考えています。死は、決して目醒《めざ》めない永い眠りに就くことで、それ以上でも以下でもない。イメージとしては生まれる以前に還《かえ》るという気がしていて、輪廻転生《りんねてんしよう》するとしても、私はそのなにものかのなかで眠りつづけるでしょう。一日の眠りを目醒めが約束された小さな死だと考えれば、永眠という解釈にはこころを慰めてくれるものがあります。無に帰することではあるけれど、羊水に浮かぶ胎児のイメージもあって、死はそれほど怖ろしいものではないという甘い考えを持っているのです。  もっとも何月何日に死ぬと日付が確定されれば、永眠などと言っていられずにパニックに陥り、なんとか一日でも長く生き延びようと見苦しい真似をしでかすかもしれません。生に期限がつくのは堪え難いことですが、何月何日に死ぬと決めて実行しない限り、あらゆる死に日付はつきません。それでも殺害されたり、事故死、特に地震で瓦礫《がれき》に埋もれ数十時間後に圧死するのは考えるだけでも怖ろしい。それに比べて自殺は、何と言っても死に方、死ぬ時、死に場所が選べるし、自分の意志で死を決断したというだけで自意識が満たされます。  死の解釈には、どれが正しくどれが誤りで、どれが真実でどれが嘘だと言えるような基準はなく、自分の理解をどこまで深められるかだけですから、もし日々の生活のなかで間違いに気づいたら修正したり変更したりすれば済むのです。前で述べたように、私はアメリカ人のような個の確立は必要だとは思っていませんが、死とは何かについて自分の考えを持つことが究極の個の確立であり、自己責任を果たすことだと考えています。死の解釈は気分としての死の美学に流されるよりも、はるかに重要な精神的支柱と成り得るものです。それさえ持つことができれば、自殺を批判的に捉えられもするし、死の誘惑に負けそうになったとしても、その原因と動機が自分の死の解釈に合致するものかどうかを検証してみるという冷静さを保てるかもしれません。死とは何かを考えることが、じつは死の抑止にもなるのです。  特に五十代以上のひとは早急に、アルツハイマー病や植物状態になっても生きつづけたいのか、それとも周囲に迷惑をかけてまで生きていたくはないのか、何らかの方法で意思表示しておくべきだと思います。老人介護の問題は余りにも経済的リスクの面からだけで論じられています。老人ひとりひとりがどのような死生観を持っているかにも耳を澄ますべきだし、彼らにも死に関するさまざまな情報を与えたほうがいい。その上で、植物状態になっても生きていたいという意志を持つならば、その意志は尊重されるべきだし、また老残《ろうざん》を曝《さら》したくないという意志を持つならば、その意志も配慮されるべきです。  宗教家が死を語る言葉をなくした今、思想家、知識人と自認するひとがいるならば、老人と子どもに向けて死とは何かを語る責任があると思います。新聞を読み、テレビを観ると毎日、殺人、交通事故、天災などによるさまざまな死が報じられていますが、そのような外部の力によってもたらされる死ではなく、死を人間の内側から捉え直す思想こそが今求められているのではないでしょうか。  数週間前、私は帰宅するために交差点に佇《たたず》んでタクシーを待っていました。右手には街道に沿って高速道路が走っていて、その向こうには高層ビルがそびえていました。九月末の夕方六時ごろ、ブルーを微かに含んだ灰色の空を黒い雲が覆い尽くそうとしていて、なまあたたかい風が私の頬を撫でました。今にも雨が降りそうでした。信号が青に変わって列をなして走っていた車が停まり、大勢のひとが横断歩道を渡りはじめた瞬間、私の耳は音という音を感知できなくなりました。世界が静まり返ったのです。  不意に、今この場所からいなくなったらどうなるだろうかという思いが頭を過《よぎ》り、私は自分が不在の光景をまざまざと眺めたのです。そして目に映るすべてが自分には何のかかわりもなく存在していることがとても理不尽に思えました。私は胸を衝《つ》いてくる失望と怒りに似た感情を抑えて、タクシーに向かって手を挙げました。  後部座席の窓ガラス越しに振り返ってみて、交差点からいなくなってタクシーで走り去るのも、死ぬのも、私が風景のなかから消えるという意味においては同じなのではないかと思いました。風景のほうから見れば、人間の生とは、ただその場所に佇んでいるだけ、あるいは高速を走る車のように瞬間的に通り過ぎるだけなのかもしれない。私は交差点の静止した光景のなかで虚しさとも安堵《あんど》ともつかない奇妙な感覚に掴《つか》まれ、死の世界を実感したのです。  私は、死は彼岸《ひがん》にではなく、この世の内側に在《あ》ると考えています。死が月世界より遠いところに在るはずがありません。死はひとの内部で生と共存し、ひとは生の道を歩きながら、自分でも気づかないうちに死の曲がり角を折れているのです。いずれにしろ、私はこう考えます。  そのひとの生が美しければ、死も美しい。 本書は一九九五年六月、河出書房新社より出版された『柳美里の「自殺」』に大幅に加筆したものです 〈底 本〉文春文庫 平成十一年十二月十日刊